つれづれに

自我、自覚 

2012年02月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今朝の「こころの時代」は
佐賀の円照寺の谷川住職の話だった。

昨日嫁さんを見舞い、嫁さんやあちらの
お母さんと談笑し、夜息子と長いこと話をした。

嫁さんは治療法なしということで無治療。
携帯のモルヒネパックをさげているが
点滴もしてないので、10日前より更に
やせていた。

いくら無治療と言っても点滴で栄養補給ぐらいすれば
いいのにと思ったが点滴をしていては
嫁さんの望む「家に帰る」ことはできない。

管が全部とれて嫁さんは10日前と同じ元気。
さっぱりしたと喜び退院を夢見ている。

お母さんは二ヶ月近くも家をあけているので
娘が元気な間に一度田舎に帰ってくるという。

そして夜、息子との本音の話。

私は悩み、とまどい今朝を迎えて
住職の話は身にしみた。

悩みは自分を知るチャンス。
自我を捨てれば広い世界が広がるとおっしゃる。

なかなか本当の自分を知りたくないもんだ。
知って少し反省してもすぐ元に戻る
自我というもの。

夫は坊さんの話など聞くのをあまり好まないが
「自然体、自然体がいいんだよ」と言う。

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