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作品名 アカンタレの話(23) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(23)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/18 10:02:02

+++私が自覚しないまま、女は私の
中に勝手に棲み続けたのである。本人
に判らないように姿を変えて、まるで
遺伝子が陰で役目を厳密に遂行するよ
うに、私と私の家族を密かに支配し続
けた。誰も気付かなかった。

23.失業
 人生も半ばの中年になって、地方都
市に住んで居た私はそこで職を失っ
た。職探しの為に失意を抱えて、家族
と共に生まれ故郷の神戸へ舞い戻って
来た。敗残兵みたいに落ちぶれていた。

 当時年老いた両親は須磨の潮見台に
未だ健在であったが、私達四人家族
は、神戸の西の端の明石市に近い辺り
に賃貸を借りた。家賃が須磨近辺より
安かったからでもあるが、敗残の身に
親との同居が辛かったからでもある。

 辺りに山は無かったが低い丘があ
って、その上の賃貸に住んだ。妙な事
に水谷地区というくせに、XX台とい
う所番地で坂道があった。潮見台より
ランクが落ちて、坂道に出現するの
は精々イタチ位なもので、キツネは出
なかった。

 大学で造船工学を学び、私は元々定
規と製図台を商売道具とする技術屋で
あった。けれども、中年の技術屋は使
い道が無く、就活で応募してもあちこ
ちから断られ続けた。面接では誰も無
愛想な私を好きでなかった。      
 十人ほどの鉄工所の面接で、二万ト
ンの貨物船の設計が出来ますと胸を張
ったら、そんな大きなのはウチでは要
らないと言われた。別の面接では、技
術知識があって英語が出来るから優秀
ですと強調したら、そんな偉い人は要
らないと一蹴された。

 とうとう、「使い易くて」・「偉い
人でない」のを証明する為に、履歴書
から大卒の肩書きを消して応募するよ
うになった。更に面接日の朝は、洗面
台でにこやかに笑う練習をしてから臨
んだりした。それでも、何処も採用し
てくれなかったから、付け焼刃の私の
笑顔を眺めて、反って面接官が不審を
抱いたのかも知れない。

 技術分野の仕事に拘っていた。けれ
ども実質一年半に渡る苦しい浪人稼業
の末、貯金も底をつきかけて、私は技
術の仕事を探すのをとうとう諦めた。

 方向転換して、当時幾らでもあった
からだが、セールスマンの口を得た。
これこそ、口一つで出来る便利な商売
である。が、セメントみたいに技術屋
に凝り固まって口下手だった身には、
まるで亀が空を飛ぼうかというよう
な、畑違いの仕事である。

 と愚痴を並べた処で、それしか職が
無かったからで、諦めが肝心。製図台
と英語力を捨て、百八十度の商売替え
をやったのである。

 ボルトを締結する機械を販売する、
外資系の会社であった。締結するとい
っても、ネジ回しの親玉みたいなもの
で一台数百万円もする。たかがネジ回
しに、腰が抜けそうな値段である。

「機械は要らんかねえーーー」と顧客
を周るセールス活動を始めた。大抵の
客は「要らん」と応えた。値段を聞い
て「腰が抜けそうだ」と嫌味を言う客
も実際にあったが、空を飛ぶよりはま
しで、愛想の悪いカメが毎日西や東へ、
高速道路を車で走り回る生活になった。

 やり始めてみたら、ダニみたいに机
へしがみ付いていた陰気な技術屋の仕
事に比べたら、遥かに気が晴れる仕事
だと思うようになった。
(つづく)

 

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