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作品名 梅の話(3) 評価 評価(1)
タイトル 梅の話(3)
投稿者 比呂よし 投稿日 2013/11/22 09:46:37

++++だから一緒に付いて行って上げられないと
心で応えた。そう応える以外に仕方が無かった。

(3)

 私が小学校四〜五年の頃、母は軽い結核を煩っ
た。家事を助ける為に、兄弟の中で一番年長だっ
た私は、割りに手伝いをしたようだ。ーーーよう
だと曖昧な言い方をしたのは、格別取り立てて言
う程の事をやっていた意識が、今でも私には無い
からである。

 しかし、手伝い振りは隣近所で当時評判であっ
た。大人というのは案外詰らない事に感心するも
んだと子供心に思ったが、一般的に言えば、確か
に私は親孝行だったかもしれない。

 私の日課の一つは、廊下の雑巾掛けと家族の衣
類の洗濯であった。当時は電気洗濯機はなく、風
呂場で洗濯板を使って粉石けんをまぶしてゴシゴ
シやった。兄弟の衣類も含めて割りに沢山あった。
 母親のものと思われるパンツを洗い物の籠から
引っ張り出して、えらく大きいな、と感じたのを
今でも覚えている。今の女と違い、昔は全部デカ
パンである。

 母親の中で、こうして私は特別な息子になって
いった。大きくなり大学へ進学し、四人兄弟の中
で私が学業で一番良く出来た為と、加えて先の洗
濯板の美談の加勢もあって、母は長男の私を偏愛
した。

 だから、私が二十八で結婚した時は、大事な恋
人を奪われるに似た気持ちが、母にあったかも知
れない。結婚後私は二人の女に挟まれた。女同士
の確執が起きたからである。
 どちらかと言えば、配偶者よりも母の方がより
強く私に執着して、一度だけだったが、泣いて私
に訴えた事がある。

 訴えられても、母親の方に勝ち目は無い。息子
の「一人立ち」とは、そういうコトを意味した。
私は母親よりも配偶者の方を選択したからである。
母の目には冷たく映ったろうが、仕方の無い事で、
以来ずっと離れて暮らした。

 「あの子は、あんな風ではなかったーー」と母
は親戚の人へ愚痴っていたようだ。洗濯板の孝行
息子の姿は、母の中で何年経っても色あせなかっ
たから、「あんな風になった」のは嫁のせいだと
信じて、息子を奪った女を憎んだ。

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