(1)
溺愛とは意味が違うが、四人兄弟の中で、母は長
男の私を偏愛した。
今年の2月初め、その母がまもなく死ぬ、と遠方
に居る妹が電話で知らせて来た。妹は母と二人で一
戸建てに住んでいて、母は八十九である。
翌日、私は新幹線と特急を乗り継いで、一人でT市
に着いた。六時間掛かって着いた時、妹は入れ違いに
近所へ買い物に出かけていた。田舎だからだろう、玄
関に鍵は掛かっていなかった。
入って病室を兼ねた居間の扉を開けると、ベッドが
八帖程の部屋の片隅にあった。掛け布団の膨らみが小
さく感じた。三ケ月ほど前に転んで腰を傷めて以来、
寝たきりになっている。
ベッドに近づくと、盗むようにそろりと息をしてい
た母が、薄目を開けた。私をじっと見上げた。その様
子を見て、もう死ぬのだなーーと直ぐに判った。予期
せぬ私の顔を目の前に発見して、母は少しびっくりし
た風だった。が、私のいきなりの出現によって、自分
がいよいよ死ぬのだと悟ったように見えた。死に行く
人へそれを自覚させるのは、残酷でないとは言えない。
こんなにまで痩せこけないと人は死ねないものか、
と私は思った。僅かなお粥しか採らず、水もロクに
飲まない、と昨日電話口で妹が嘆いていた。生きる
原理をもはや諦め、忍び寄る餓死を待っているよ
うに見える。命が尽きようとしているのを、本人は
どのように自覚しているのだろうか。
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