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雑感日記
札幌での仕事、自分史
2011年12月13日
テーマ:テーマ無し
★昨日は札幌の2年間、毎年50回以上のゴルフをしたという話を書いた。
確かにゴルフもしたのだが、遊んでばかりいた訳ではない。当然のことながら仕事も私流ではあったが、それなりにちゃんとしていたのである。
と書いたが、『じゃ何をしたのですか?』と正面切って聞かれると、困ってしまうようなレベルの仕事ぶりだったかも知れない。
当時のメンバーは多分、まだ北海道川重建機で、中枢として活躍されているはずだし、ひょっとしてこのブログを読まれるかも知れないので、あまりいい加減なことも書けないのである。
それでも書こうとするところが、私の厚かましいところで、それをお許し頂いて、思うところを纏めてみることにする。
★私自身は、会社勤めの殆どの期間をカワサキの二輪事業の企画、マーケッテング、広報、レースなどの分野を担当してきたので、この分野については、そこそこのプロだと自認している。
そんなことから、『マーケッテングの専門家』を認めて頂いて、川崎重工業で初めての『事務屋の技監』の地位を頂いたのである。
建機事業など全く解らないし、特に技術分野には弱いので、今更新しい商品など覚えてみても、中途半端になることは目に見えていた。
従って敢えて一切建機の専門的な分野は覚えないことにしたのである。2年間いたが商品が何機種あるのか?その名前は?その価格は?などと聞かれても一切答えられない社長だったたのである。
最初に思ったのは、200人近くもいる従業員を覚えきることも難しいだろうが、
『兎に角従業員からは信頼される』=『社長としての発言を信頼して聞いて貰える』ようにならぬと、どうもならないと思ったのである。
そのためには、この会社のオピニオンリーダーは誰なのか? オピニオンリーダーとは、別に職位の高い人ばかりではないのである。何となく『その人』の言うことは世の中で『正』として、受け入れられる『人』はどこの世界にも存在する。そんな人たちは、極端に言うと社外の人でも、社内の人に影響力を持つ人ならいいのである。
そんな目で見つめると1ヶ月もすれば、いろんな候補者が見つかった。そんな人たちと雑談をして納得して貰って仲良くなると、噂はどんどん広がるはずである。
ましてや、『今度来た新しい社長は?』はサラリーマンにとって格好の話題のはずである。
そんなマーケッテングの広報=PR=Public Relation=いい人間関係づくり は私の専門分野なので、2ヶ月で大体社内では私の意見は聞いて貰える雰囲気にはなったと思っている。
★全くの私流で押し通した。建機の話は殆どせずに、二輪車のことばかり話していた。経営の管理手法も徹底して二輪車流に切り替えた。
それが出来たのは、経営の諸管理システムも、部品の管理システムも、マーケッテングも、二輪車業界の方が間違いなく進んでいたからである。
経営数値などもすべての資料をトレンドの解る移動値方式に切り替えたが、それは管理担当の佐藤君がホントにその気になってくれたから出来たのである。
幸運もあった。
この会社には川重の建機事業部から営業の役員で花房君が出向してきていたのだが、彼は大学の後輩で、それも野球部の後輩だったのである。初めて会っても野球部の後輩となるとこれは遠慮なくモノが言えたし、花房君もそれなりに応えてくれたのである。
この会社は道内に15か所近い営業所があって、そこを統括しているのが営業部なのである。その営業部のNO2の位置に彼がいたので、営業のことは各地に聞かなくても彼に聞けば大体解ったのである。
当時、この会社を切りまわしていたのは専務の中本さんで、この人が実質社長みたいなものだった。独特の雰囲気を持っていたが、会社の内容の把握は他の追随を許さぬ高いレベルだった。『北海道川重建機の辞書』みたいな人だった。
数カ月はずっと中本さんと行動を共にするように務めた。幾つもの営業所を訪ねたが、そこまでの車中での中本さんとの会話は、最も貴重な情報源だったのである。
北海道は広い。
殆どの移動がクルマだが、函館や道東の北見などには、女満別の空港まで飛行機だった。
従来社長が独りで移動する時は、空港まで車で出迎え、北見営業所から、釧路営業所などへの移動などは、両営業所の所長が美幌峠まで送迎して、社長の受け渡しをするなど大変なのである。
このあたりも二輪車流儀に改めた。海外出張でも空港でレンたーカーを借りて自分で運転して行動するのは常識なのである。
初めての北見と釧路への出張も空港などへの出迎え不要、レンタカーを借りて自分で行くと言ったら、それだけでビックリしてくれるのである。6月初めだったが、釧路に行ったら、朝ストーブを焚いていたのには、こちらがビックリした。
★まあこんな具合で、北海道川重建機の人たちとオモシロく付き合えた。特に中堅クラスの若手所長クラスとは直ぐ懇意になった。
そんな中に、一人異色の方がいた。札幌の開発局から来られた松田さんである。
営業部に所属していたが、地位も高く勿論給与もそれなりの待遇なのである。
建機の中でも除雪機械は主力商品で、毎年秋口には全道あちこちでの開発局扱いの除雪機の納入がある。この配分台数や価格やその他いろいろ、松田さんがおられるだけで上手くいくようである。その内容は私は一切覚えなかったので解らないが、どこの会社にも松田さんのような方はいて、現役の開発局との連絡等一切を切りまわしているのである。営業と言うより一種独特の専門分野なのである。別に営業に居なくても川重建機に松田さんがおられたら、機能するのである。
15もある営業所の管理は、営業分野が大半ではあるが、そのほかにも総務も経理もいろいろある。
扱う商品が大きいから地方の営業所と言ってもなかなか立派で広大なのである。
そんな営業所などの統括も含めて、会社の企画総務機能が貧弱だった。
企画部門を新設して、その長を松田さんにお願いしたのである。
開発局から来られているから、資質は十分なのである。企画部門が出来てから、人事総務も事業計画も従業員の賃金体系なども従来のモノがダメだったわけではないのだが、手抜けになった部分が全て繕われて会社らしくなったと思っている。
松田さん自体も、お持ちになっている能力を十分に発揮されたのだと思う。私が2年間でやれた仕事で幾らか形にして残したのはこんな事だったかも知れない。
開発局から来られた方は、『こんな仕事』という従来の考え方を、人はその能力、その資質に会った仕事をと言う当然の『常識的な発想』は建機の素人ゆえに出来たのかも知れない。
★そのほかにもいろいろあったが、2年の期間の後、私の後を引き継いでくれたのは、単車時代アメリカで田崎さんの番頭役を務めた高田さんである。
2年経って、私の後任を決める時には、そんなに難しいこともなく決まったはずである。
そんな体制、組織運営が出来る会社になったことが、私の2年間の仕事だったのだが、それが北海道川重建機にとってホントによかったのかどうか?
その評価は、北海道川重建機の株主や、役員さんや、従業員が評価なさることなのである。
ただ、この2年間の間私自身は、川崎重工業のためにではなく、第一に北海道川重建機のために諸施策を行ってきたことは間違いない。
幾らかは、その点も認めて頂いて、たった2年の勤めだったのに、
退職後3年間も顧問として厚遇頂いたし、九州への社内従業員の旅行には声を掛けて頂いてご一緒させて頂いたりしたのである。
大滝さんからも、松田さんからも、私の前の社長さんからも、その他何人かの方たちから今でも年賀状が届く、そんな懐かしい北海道川重建機の2年間だったのである。
現役、最後の2年間であったが、私なりにチャレンジングな仕事が出来たことが、幸いだったと思っている。
あと何回か、また北海道での自分史として会社のこととは関係なく思いだす事を書いてみたい。
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