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昭和2年生まれの航海日誌

巨木を倒し砂利を抜く甚六 

2011年11月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
 郷土史で、もっとも感銘を受けたのは何か?
おおよそ、歴史の編纂はおろか資料の調査、提供をしなかった
身にとっては、はばかるところである。

 記述がなく、現実を見たことなら、ためらうことなく挙げる
ことができる。
 それと「巨木を拝む」林 住記氏のブログで当時の印象を浮
かべることができた。

 それは、こう言うことである。
 この村の田地は、三角州の沖積土からなっている。排水もよく
二毛作ができる。

 当然,表土から6〜7メートル下には砂,礫があって伏流水が
流れている。

 昭和40年前半の頃は、農薬,洗剤で汚染されていなかった
ので、モーターで井戸から汲み上げ飲料水とした。
 冬は暖かく、夏は冷たい美味しい水だった。

 耕土の下の砂利を地主は建築資材として売り払った。そして
そのあとに山土を客土した。
 この地は東南海大地震、伊勢湾台風の被災地であった。こんど
こんな災害があったらどうするのだろう。

 そればかりではない。
 氏神さまの神樹である欅の巨木を切り倒してしまった。遠く
伊勢湾を航行する船上から望見できたものだ。
村のシンボルでもあった。

 これには、村へ貢献を続けていた東京の長老は悲憤慷慨して、
自治会長を叱り飛ばした。
「総領の甚六め、”武蔵野”でも読め!」
実は、心で泣いていたのは長老の方だった。

 裸一貫で異国に渡り、忘れることができなかった欅である。
錦を着て故郷に帰ったのにこれである。

 長老は数年前に逝去された。
 生前に巨木の跡にの植えられ欅は、一人前に成長している。

 これは郷土史に「巨木と農地」でとどめられないものか。
 どこの歴史をひもといてみても、誇れるものばかりが残され
ているものではない。
 それが歴史だと思う。

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