Polyglotに憧れて

AIは芸術家を駆逐するか? 

2024年01月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


   AIは芸術家を駆逐するか?本日の読売新聞で、生成AIに関するYOSHIKIさん(X JAPANリーダー)のインタビュー記事が掲載されていました。 AIを使うと誰でも簡単に作曲できるようになり、世界中に配信できる。すると、1年かけて作曲した曲と30分で作った曲が同じふるいにかけられて、収入が減少し、ヒット曲を作りたいという動機づけが弱まる。 といった懸念が表明されていました。生成AIの用途は作曲だけでなく、画像の生成や文章の作成など、様々な分野に広がっています。AIの台頭は芸術家を駆逐してしまうのでしょうか? 同じく今日の読売新聞に、哲学者マルクス・ガブリエル氏の生成AIに関する記事も掲載されています。ガブリエル氏によると、 AIに知能や理性や良識はない。AIに自意識はない。AIは道具である。 AIは極めて便利な道具だと思います。うまく活用すれば人間の労力を大幅に省力化してくれるかもしれません。AIを使うことで、面白くも楽しくもないような、作業的な労働をAIに任せることができるのではないか、と考えています。 では、創造的な仕事についてはどうでしょうか。YOSHIKI氏は芸術家が担ってきた創造的な仕事をAIが奪うことを心配されているようです。果たしてAIは優れた芸術作品を生み出すことができるのでしょうか?また、AIの台頭によって、人間は創造意欲を失うでしょうか? 昨年、将棋のタイトル戦で藤井聡太氏の活躍が報じられ、将棋にほとんど興味のなかった多くの人たちからも関心を集めました。以前から、将棋の世界でAIは開発されており、今ではゲームの勝敗だけならAIの方が強いと言われています。しかし、AI同士の将棋の勝負など、一般の人は関心を持ちません。藤井氏の活躍に多くの人が注目したのは、(彼の年齢や人柄なども含め)人間同士の勝負だからです。人間がその知力を尽くして真剣勝負する姿に感動を覚えるのです。 オリンピック競技なども同様です。100メートル走やマラソンなど、スピードを競うだけなら馬の方が速いし、自動車はもっと速くて便利です。人間が自らの限界に挑み、長年鍛えてきた技を用いて競うから感動を覚えるのです。 芸術作品でも同じことが言えるのではないでしょうか。確かにAIを使えば簡単に作曲できたり、画像を作れたりするでしょう。出来上がった作品を比べると、AIが作ったのか人間が作ったのか、わからないかもしれません。しかし、AIが作った作品が我々にどれほどの感動を与えるでしょうか。これはAIが作りました、と言われたら、当初は物珍しさから注目されるかもしれませんが、いずれ飽きられると思います。結局、我々が関心を持つのは、人間が作った作品だから、人間が深く関わっているからです。 AIの台頭によって、芸術家の仕事の一部が奪われることはありうるでしょう。けれども、芸術家の創作意欲が失われることはないと思っています。そもそも、芸術家が芸術を創作するのは、金儲けのためではないと思います。優れた芸術を生み出したい、自分の内面にある湧き上がる情熱を、(音楽とか絵画とか何らかの形で)作品に具現化したい、というような創造的欲求が根底にあり、それが芸術作品を創り上げるのだと思います。 このような芸術作品には、作った人の思い、いわば魂が込められており、それを感じることで人は感動を覚えるのだ、と考えています。AIを使ってお手軽に作られた作品には、そのような作者の思い、魂が宿っているとは思えないし、そのような作品が芸術作品として高く評価されることはないでしょう。 AIという便利な道具が生み出された以上、もはやAIを使わせない、といった強制は無理でしょうし、無意味です。道具は如何に上手に使うか、が重要です。マルクス・ガブリエル氏は、生成AIが悪用されることを懸念されています。その懸念は尤もですが、それはAIに限らず、すべての道具に当てはまる指摘です。道具はうまく使いこなすべきものであり、道具に使われてしまっては本末転倒です。生成AIという道具は極めて強い威力を持っているので、我々の大事な物を破壊してしまわないよう、取り扱いには注意が必要ですね。    

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