筆さんぽ

年齢がかなしくなったら 

2023年12月25日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

書棚を整理していたら、なつかしい一冊をみつけた。

若いころ、姉の書棚にみつけたエーリッヒ・ケストナーの
『抒情的人生処方詩集』である。

正確には「ドクトル・エーリッヒ・ケストナーの抒情的家庭薬局」といい、
目次の頁をひらくと
詩の題の代わりに、病状のための索引がついていた。
薬の「用法」ということであろう。

「自信がぐらついた場合」「母親を思い出したら」など、、
◯頁を見よとある。

たとえば、生きることに自信を失いかけているものに
「世界は円い それにくらべるとおれたちはスラリとしている」
という薬剤の処方をするドクトル・ケストナーは
くわせものではないだろうか。

そう思いながらも、
夢中になって頁をめくったことを憶えてる。

姉が挟んだと思われる栞の頁には
「年齡がかなしくなったら」読む、と用法には書いてある。
(その一部)

もういちど十六歳になって
そのあとで起こったことを 全部すっかり忘れてみたい
もういちど 珍しい花を押花したり
(背が伸びるので)ドアで身長を測ったり
学校の途中で 門の中へオーイ! と怒鳴ったりしてみたい

夜中 もういちど窓辺に立って
往来の静かな眼をさまたげる 通行人の声に
じっと耳を澄ましてみたい
誰かが嘘をついたとき憤慨して
五日間 顔を合わせずにゐてみたい

家に帰る途中 キッスがしたいのに
キッスをこわがっている女の子と
もういちどいっしょに 市立公園を走ってみたい
………
あのころ見たものが 全部そっくり見られるだらう
それからそのあとで起こったことが全部そっくり
もういちど これから 起こるだろう………
同じ光景を もういちど君は見たい気がするか?
する!

詩は本来的には「役に立つ」ものではない
ということを知っていながら、「類似療法」だとしている。
だから、どの薬剤(詩)を取り出しても、
そこに書いてあるのは、治療目的ではなく、
むしろケストナー自身の感傷と矛盾にあふれたものである。

うっかりしていた。
ぼくは「年齡が悲しくなったら」
と思ったことはないので、
薬剤(詩)を必要としていなかった。



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