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雑感日記

カワサキ単車の昔話  7    創成期のカワサキのレースライダー 

2023年07月06日 外部ブログ記事
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★カワサキの単車事業は昭和35年(1960) 明石工場で一貫生産スタートし、昭和36年(1961) 発動機営業部に単車営業課が出来て、私はその当初からその営業課に参加するのだが、昭和37年(1962)鈴鹿サーキットが出来て、確かMFJもこの年のスタートだから、日本の二輪事業が本格的に動き始めたのはこの年だと言ってもいいのかも知れない。この年の11月に行われたMFJ第1回全日本ロードレースでは、250cc三橋実・350t片山義美がいずれもヤマハで優勝を飾るのだが、その優勝者の二人は、その後のカワサキのレースで密接な関係が出来るのである。そして創成期のカワサキの販売は国内市場だけであったし、当時の主力車種は50tモペットだったから、販売分野ではカワサキは全く振るわなかったと言っていい。創生期のカワサキの国内での動きと言えば、レース活動であった。当初はモトクロス中心だが、こんなライダーを揃えて、モトクロス分野では「赤タンクのカワサキ」で一世を風靡したと言っていい。    昭和41年(1966)5月には、モトクロスライダーの山本隆が鈴鹿ジュニアロードレースに参加し、初出場ながらホンダ・ホンダ・カワサキと3位入賞を果たして、翌月からは正規にカワサキもロードレースに参画することになり、片山義美の秘蔵っ子・金谷秀夫と契約し、三橋実・安良岡健の二人もモトクロスからローライダーに転じることになるのである。これはFISICOで行われた、日本GPのジュニアロードレースで、当時のアメリカのTOPライダー・ガリーニクソン(ヤマハ)と金谷秀夫が、息詰まる大熱戦を展開し、二人が「同タイムのベストラップ」を記録するなどしたのである。  ★そんな創生期でのレース活動で一緒だったライダーたちは、 当時は単なる若いライダーだったのに、 みんな素晴らしい成長を遂げられて、 「世界」とか「日本」を代表する素晴らしいライダーに成長されたのである。 そんなライダーたちとの写真は私の宝物である  そんな中からの何枚かをご紹介してみよう。 神戸木の実関連、御大片山義美さんを囲んで、  これはその「片山義美を偲ぶ会」の開会前に・・   これは東京で私がシャッターを切ってる。 かってのカワサキのライダーたち、みんな立派になられた。 金子豊・岡部能夫・山本隆・星野一義   マウンテン・ライダーの50周年記念パーテーで 吉村太一ちゃんと。 みんな立派になられたな。 久保和夫さんとは、何故か近かった。    金谷秀夫とは特にいろいろとあって想い出いっぱいなのである。  この日が金谷と最後になってしまった。  山本隆さんも今や大スターなのだが、彼は私より10歳若い。  彼に頼まれて仲人をしてるのだが、  こんなに大スターになるとは当時は思ってもいなかった。     ★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。★NPO ?The Good Times のホ―ムページです。

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