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たかが一人、されど一人

死亡者 

2023年06月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 歳のせいもあり、今年は葬儀関係の仕事とは言えぬが、雑事が多い。今日も極めて近い親戚の葬儀関係でしなければならないことがある。この世に生を受けた以上、誰も避けられないことだ。親しかった友人も多く亡くなり、若い頃は遺族と一緒に葬儀を執り行ったりした。次いでは葬儀で弔辞を読んだりだ。それが最近では弔問はおろか弔電さえまとも打たなくなってしまった。あまり遠くない将来に来る自分はどのように見送られるか、少しばかり心配でもある。個人的なことは措くとして、最近の報道で思うのが訃報の取り上げ方だ。事故や事件で命を絶たれた人を報道するのは仕方ないかもしれぬが、死者への配慮、敬意については考えてみることも必要だろう。何も国葬にしろなんて言うつもりもないが、他界した人を偲ぶ必要があれば、一定の時間が過ぎてからのほうが良いだろう。その意味で、月刊文藝春秋は、毎号巻末に「蓋棺録」なる頁がある。頁数も高々4頁だから取り上げる人物も精々5人くらいかな。しかし毎号必ず読んでいる。この世は憂き世だから、多くの人は生きても死んでも中々浮かばれないだろうが、せめて他界した時くらいは、三途の川を無事渡るよう祈りたい。事故や事件と同列に置くわけにいかぬかもしれぬが、戦争による死亡者の扱いも問題だ。日本政府は昔から戦没者をみずく屍、くさむす屍としてぞんざいに扱っている。こんなことを歌い上げる国が他にあるだろうか?日本の天皇制を避難するつもりはないが、これは頂けない。政府官僚は市民軍人を問わず、死を厳粛に受け止めるべきではないか。そもそも明治新政府は戊辰戦争の際、会津地方などでは戦死者を野ざらしにして片付けることを禁止したと聞いている。罪人を殺した後で首を晒す習慣の名残かもしれぬ。日本人の宗教心とも関わってくるかもしれぬ。子供時代に長野から3里ほど離れた松代町に自転車に乗ってよく遊び行った。中間地点に八幡原なる古戦場があって、小さな社が置かれていて、脇に土饅頭があって首塚と教えられていた。武田と上杉のいわゆる川中島合戦の名残だ。今にして思えば随分いい加減な話だと思うが、何れにしても戦いを美化することに他ならない。ウクライナでもスーダンでも戦争が続いているが、戦いの現場で戦死者がどのように取り扱われているか知りたいが、報道が伝えるのは死亡者数だけだ。死人を怖がらない強い心も大事かもしれぬが、死者に対する礼儀のようなことも大事にしたい。

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