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敏洋’s 昭和の恋物語り

歴史異聞 鼠小僧次郎吉 〜猿と猿回し〜 (四)腰元 

2023年01月30日 外部ブログ記事
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それから三日後の、文政八年(1825年)二月二日の夜のことである。次郎吉は、某料理屋の二階で女と対座していた。土屋相模守家の腰元である。次郎吉はあぐらをかき、腰元は正座している。とても、大工の娘とは思えない。しかし土屋相模守の屋敷内では、どこをどう間違えたのか廻船問屋の娘となっているのである。というのも、行儀見習いとして奉公に上がるその日、廻船問屋の娘は店の手代と駆け落ちをした。慌てた廻船問屋は、女中として奉公に来ていた大工の娘ー年格好が似ているこの女を、屋敷に上がらせたのである。
勿論、事の真相が知れれば、女の打ち首は必然である。廻船問屋も只ではすまない。二年間の屋敷奉公が無事終われば、大工の娘は多額の礼金をもらえる。その約束で、身代わりとなったのである。その事実をこともあろうに、次郎吉に知られてしまった。言葉巧みに口説かれ、身体を許してしまった娘。つい、事の真相を漏らしてしまったのだ。
次郎吉が初めて屋敷に建具職人としての仕事に入った折り、お手洗いがわからずマゴマゴしている所に、たまたま出くわした腰元が、親身に世話をしたのがそもそもの因縁であった。その頃の次郎吉は、建具職人として真面目に働いていた。親方連に受けが良く、仲間内でもコマネズミのように動く為、可愛がられていた。実は、後述の理由からの猫かぶりだった。
小柄な次郎吉は、実年齢よりも若く見えた。屋敷内において、回船問屋の娘であることを常に意識している腰元は、実の所疲れていた。気の許せる相手を捜していたのである。腰元の方が年下であったが、次郎吉の所作や言葉使いに、弟を感じていた。臨時に入ってきた次郎吉は、そんな腰元にとって格好の相手であった。暇を見つけては次郎吉と談笑していて、見咎められることも多々あった。
些細なことで叱りつけられることに憤慨をしている時、次郎吉に慰められたことがきっかけであった。やれ、かんざしだ、くしだと、贈り物をされたことで、次郎吉に好意を抱き始めた。二人の心がうち解けるにつれ、色々の愚痴をこぼし始めた。実家に文を出しても、二年の辛抱だと取り合ってくれない。それに比べ、次郎吉は腰元の味方だ。次郎吉の憤慨ぶりが、腰元には嬉しい。

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