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想像してごらん (8/30 母の命日) 

2022年08月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 十三回忌の時に、母のことは命日に書こうと思いましたが、もう少しで母の誕生日なので、その時にまとめて書けるよう、頭を整理しておきます。ってことで、一昨日の文ちゃんディナーショーで感じたことを書きたいです。
 開演前のロビーは、抑制のきいた華やかさで良かったです。が、受付には、目立つところでは、すてきなフラワーアレンジメントや、メロンの箱が2つ。アラアラと思いました。言い訳ではありますが、私のチクチクは主催者に頼まれた物でもあったし、あらかじめ送ってあったし、何より小さくて軽い物だし。 10年以上前かな、ブログに書いてひんしゅくかったことです。息子が公演のたびに、善意の差し入れに、非常に困惑通り越して、迷惑していることです。あえて「迷惑」という強い言葉を使いましたが、意味があります。 受付なり楽屋に届けられる様々な物の一部は、楽屋を撤収する時とても困るのです。すべての関係者が、車で自宅に帰るならばともかく、又帰る自宅に一緒に喜んでくれる家族がいるならばありがたいのですが、けっこうな割合でそうではないのです。ただでさえあわただしく疲れているのに、そのすべての行き先を算段せねばならず、心ならずも迷惑と感じてしまうことに罪悪感を持つと言う、二重のストレスをかけているのです。 想像してごらん、自分を相手の立場に置き換えて。 文ちゃんや大和さんは、お金に不自由はしていないと思いますが、息子たちは、その気持ちをお金にしてもらえたら、どんなにか嬉しいかと。私も花束は出しますが、相手の状況を考えます。食べ物なら高級品で(小さい)保存がきく物。皆さんへの差し入れは、事前に必要かどうかを確認してからにします。 遠い昔ですが、2003年にキタラに「キャスリーン・バトル」が来ました。終演後に裏口辺りに人が並んでいたので、とりあえず並んでみたら、握手・サイン会でした。必死の英語で、「また来てください」と伝え、握手とサインをしてもらい、夢のようでした。彼女の手元横に、小さなカットフルーツ(パイン)があり、お見事な差し入れだと思いました。 もしかしたら、又ひんしゅくかうかもしれませんが、仕方ないです。 11日のファーチレのオケ・マエストロ練習があって、13日に京都へ行き、どこが病人なんだとばかりに遊んで、19日に息子と帰宅。21日に四十九日で、24が病院で、歯医者やGIVAがあって、十三回忌があって、日曜日のディナーシュー、そして今日も地元で小さなコンサートがあります。私はどうかしているけど、これで良いのだ、たぶん。 ちゃんとあいさつしそびれた、文ちゃんにお礼のメールをしたら「ヘアも変えられて、とってもお洒落で素敵な装い🌺」と返事が。 突然思い出したことがあります。若い頃、家ににこやかにハンカチを売りに来た女性がいました。意味不明な身分証明書を提示、困っている子供に寄付トカナントカ。あれは統一教会だったと思います。母は困っていました。 久しぶりにまとまった畑仕事したら、しばらく動けなくなってしまいました。 

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