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平成の虚無僧一路の日記

福沢諭吉の雅号「三十一谷人」 

2011年10月09日 外部ブログ記事
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先日、料亭の「大森」で食事をした。
以前、 何度か 招待で 行ったことがあったが、
最近は とんと そんな機会は無くなった。

数年ぶりだったが、「若女将」は、私のことを覚えていて
くれ、特別な部屋に案内してくれた。そこには、なんと
『独立自尊』と書かれた「福沢諭吉」の扁額が飾られて
いたのだ。私が慶応卒と知っての 若女将のはからいに
感心した。さすが 老舗料亭の女将。

私が「福沢諭吉」の「三十一谷人」の落款を確認していると、
「若女将」が言うには、「これは『老子』の言葉から
とったそうですね」と。「??」それは知らなかった。

『福澤全集緒言』には「 三十一を一字にすれば『世』の
字にして、谷人の人を人偏にして左右に並ぶれば『俗』の
字と為るが故に、則ち『世俗』の意を寓したるもの」と
あるのは知っていた。


「老子」を紐解いてみれば、「三十輻(ふく)一轂(こく)を
共にす」というのがあった。車輪は、中心の「轂(こく、
こしき)」と、輪との間をつなぐ三十本の「輻(や)」から
成る。「輻(や)」はすべて、中心の「轂(こく)」に集まって、
車輪を支える。どれも「用ある物」で「無用のものは何も
無い」という比喩だそうだ。

ふーむ、言われてみれば、「福沢諭吉」は語らなかった
けれど、「無用の用」と いうような含みをもって
「世俗」と掛けたのかとも思えてきた。

「美人若女将」の才知、博学には脱帽。しばらく
若女将と談笑しながらの料理の味もまた格別だった。


ちなみに、慶応義塾の塾頭を務め、千代田生命他、
いくつもの会社を興した「門野幾之進」の雅号は
「靄渓(あいけい)」。「靄(もや)が立ち込める渓谷」
だが、実は、イニシャルの「I.K」に漢字を当て
はめただけだとか。明治人のおしゃれなセンスに、敬愛。

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