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平成の虚無僧一路の日記

親鸞と山伏 

2011年10月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞 連載の 五木寛之『親鸞』。またまた
核心に入ってきた。

「念仏を唱えても、病が治るわけではない、
暮らしが楽になれるわけでもない」ならば
「なぜ念仏?」という問いだ。

一方、山伏は 山で厳しい修行を積み、里に
降りて、衆生済度。薬草で病気を治し、加持
祈祷で、病気平癒や悪霊退散を行い、村人に
慕われ、信頼を得ていた。それが否定され、
「念仏さえ唱えれば、一切合切 救われる」と
言うのであれば、生活基盤が脅かされる。
自分の存在すら否定されることに我慢がならない。

「念仏と山伏」の対決やいかに。


山伏は、日本古来の「山岳信仰」だった。
弘法大師空海は、高野山に登って、仏教と
熊野信仰とを合体させた。仏教の中で「真言
密教」だけが、護摩を炊いて加持祈祷を行う。

釈迦は、加持祈祷など否定していたのだから、
真言密教は、釈迦仏教から逸脱して、山伏仏教に
変化したものだ。

法然や親鸞の「念仏宗」も、釈迦ではなく
「阿弥陀如来」を唯一信ずるのであるから、
これも釈迦仏教ではなく「阿弥陀信仰」。
日本独自の「新興宗教」なのだ。

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