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たかが一人、されど一人

山の呼び声2 

2022年06月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日、2004年9月黒4ダムを超えて北アルプスに踏み入り、60歳を超えて改めて山に目覚めたきっかけを書いた。当時の写真をチェックすると、服装は普段どおりで何一つ山専用の物は無い。翌10月には奥多摩の御岳から大岳山を経由して奥多摩まで歩いてるが、この時も普通のスニーカーで普段どおりの服装だ。しかしこの頃から、山歩きには足元を固め、道具を揃える必要性を感じ、少しずつ道具を揃え始めた。揃えた順番は記憶していないが、トレッキングシューズの次は雨対策だったと思う。それから十数年で登った山は奥多摩を越えて拡がっていき、山行きの回数も百回を超えた。その中身は、首都圏の有名な山、長野在住時代朝晩仰いでいた山々から始まり、段々有名な高い山に至るようになった。日本には3千メートルを超す高い山が碓か20強あったと思うが、その大部分は登った。深田久弥の百名山も半分くらいは登ったかもしれない。深田氏の名前のついでに、尾崎喜八氏、槇有恒氏などの登山文学も大分読んだ。何れも高学歴のインテリで、詩情豊かな文筆家揃い。中で一番親しみを感じたのが田部重治氏だったかも知れぬ。氏は富山生まれの英文学者だが、若い時から北アルプスや秩父一帯を歩き、登山文学を多く残している。中で特筆すべきは「山と渓谷」と言う言葉を使ったこと。秩父、今で言えば甲武信岳から下る沢の一つで転落して水浸しになって遭難死寸前になったこともある。兎に角、山には危険がいっぱい、まかり間違えれば命の危険にさらされかねない。装備の充実も必要だが、地図とコンパス(磁石)の使い方、天気予報に関する知識等々も欠かせない。小学生時代からの友人が長野高校の山岳班に入り、国体に出場して確か優勝したと思うが、彼は毎日ラジオの天気予報を聞いて自ら天気図を作成していたと思う。小生も山に行く前には地図を購入して、計画を練るようになっったものの、実際にはコンパスがうまく使えずに、道に迷ったことは再三再四。素人登山の典型だ。道に迷うこともよくあった。実際に登山道で転倒したり、数メートル滑落しながら命拾いしたことも何度かある。2004年から勘定すれば既に18年、いい加減にしないと本当に罰が当たるから、考えを変えるためにこれを書いている。山に楽な山は無い。明日は最後として、山の楽しみについて書きたい。

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