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関東大震災で市井の一般人が朝鮮人を何故に虐殺に加担したのか? 

2021年09月08日 外部ブログ記事
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「関東大震災朝鮮人虐殺の記録―東京地区別1100の証言の世田谷区版」をアップしました。
今は、始めの足立区から読み始めていますが、徳冨蘆花ではありませんが日本人のひとりとして「済まぬ事羞はずかしい事です。」だと思っています。しかし、市井の一般人が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とか「朝鮮人がこの震災を利用して暴動を企てている」などの流言飛語によって、自警団、青年団に加わって虐殺をしたという事由が中々理解することが難しいですね。
そこで一つの仮説をたてました。それは明治27〜28年(1895〜96)「日清戦争」と、明治37〜38年(1904〜05)「日露戦争」は、朝鮮半島と周辺海域が主戦場だったということです。
関東大震災の時は、両戦争に参戦した当時の近衛師団などの軍中枢にも歴戦の将校がいた。更には復員した将兵は、中年・壮年になっていて在郷軍人会や自警団の幹部となっていた。朝鮮半島で清国軍やロシア軍と戦う中で、彼等将兵は朝鮮人に相当あくどい対応をしていたのではないか。その象徴的な事件が「朝鮮王朝の末期の国母と呼ばれていた閔妃暗殺」だと考えています。原田敬一著の「日清戦争」にも「仮説」に該当する論考がありませんでしたので、これから研究をしたいと考えています。
「日清戦争全般作戦図」靖国神社「遊就館図録」より

「日露戦争全般作戦図」靖国神社「遊就館図録」より

(了)

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