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いじめの線引きって無いけど 

2021年07月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



小学校5、6年生の頃・・いじめられる方かいじめる方か・・・で言ったらいじめる方の人間やった。あれはいじめやったなぁと今では思うけど同級生の一人、二人をたまにいじめて泣かしたりする中の一人やった。いじめに線引きはないけど、自分たちの時代は暴力的ないじめ、虐待とは縁遠かった。それに普段は一緒に遊んだりしてて、そうやって遊んでるときにいじめたり・・・はしてなかった。ただ、すぐ泣いたりするのを面白がって強制したりして泣かしてたことはいじめだったんだろうな、と自覚する。中学に入ってからそんなことはしなくなったし、自分が気が付く限り、いじめられてるような子はいなかったように思うけど。大人になって「あぁ、いじめてたんだ」「申し訳なかったなぁ」って言う気持ちは思い出すたびに心の中で謝ってた。多分ほんと、いじめられてた時点で心が傷ついてるんだからその心の傷は大人になったから、いじめられなくなったからって消えるものじゃァない。でもいじめた方はそうだったっけ?って忘れてることが多いってことが一層いじめられた側はまた深く傷つく・・・・・・・と思う。そんないじめをしたことでさえ、ず〜〜〜〜っと心に引っかかっているものやで、いじめを通り越して虐待に近い行為をして、全国発売されてる雑誌になお面白おかしく話した人物は若気の至りで話したとは当然すまされない。自分の場合有名人でも無いし、大それた地位にも就いてない一井の市民やでそのことをずっと心にしまっていくけど、その人物はそういうわけにはいかないのは当たり前で。雑誌にいじめを語った時点で、有名になってきてたんだろうから過去のみそぎとしてそれなりの団体に寄付するとかわかりやすい反省をしてきてれば今の地位は安泰やったかもしれんと思うけど。インタビューをされた時、いい大人の時点で反省がないんだから、過去の話だとしても今バッシングを受けても仕方ないと思う。最初内容を知らなかったとき、過去のいじめの事実がオリンピック・パラリンピックにふさわしくないってなってるのをただ単に、過去の話でしょ?と感じてたけどよくよくしっかり記事を読んで過去の話では済まされないって思った。けど、これをきっかけに、自分がどういう貢献をして行ったらいいのか考えていったらいいよね。反省・謝罪の気持ちをどういう風に世の中にあらわしていくか。音楽で才能がある人なんやでどんなけでもやり直せるんじゃないのかな。今まで何度か批判にさらされてもうまくかわしてきたけど今回やっとこさ、どん底に落ちることができたんやと思う。これからが本当に才能を生かして立ち上がってほしいし、新たに生きていけるんじゃないかな、と。音楽の才能がなくなるわけではないんだから頑張ってもらいたいね。

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