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平成の虚無僧一路の日記

尺八の流派 琴古系 

2021年05月25日 外部ブログ記事
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琴古流: 江戸中期に、下総一月寺と武蔵鈴法寺の浅草出張所で尺八指南を務めていた黒沢琴古の流れを汲む会派の総称。
初代 黒沢琴古 ??宝永7(1710)年?-?明和8(1771)年 本名は黒沢幸八。
福岡藩黒田美濃守の家臣であったというが、福岡藩士の中に黒沢姓は見つからないとの調査報告あり。
脱藩して虚無僧となり、全国の虚無僧寺を回って本曲を修得し、一月寺、鈴法寺の浅草出張所で尺八の指南役を務め、曲の収集、整理を行い、30余りの曲を制定した。
琴古の死後、弟子の宮地一閑が一閑流を名乗ったため、二代目琴古によって琴古流と称すようになった。
2代目黒沢琴古 ?延享4(1747)年ー 文化8(1811)年 本名は黒沢幸右衛門(後に幸八)
初代の実子。父同様に一月寺、鈴法寺の指南役を務め、江戸中に稽古場を作り庶民の普及にも一役買った。
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3代目黒沢琴古 安永元(1772)年ー文化13年(1816) 本名は黒沢雅十郎(名は諸説あり、後に幸八)
2代目の実子。最初の号は琴甫。江戸時代の名手で作曲も多く尺八の製管も行なった。3代目が執筆した『琴古手帖』は当時の琴古流のことを知る貴重な史料。
4代目黒沢琴古 生年不詳 - 万延元(1860)年本名は黒沢音次郎(後の幸八)。
3代目の実子。
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荒木派・古童会
初世 古童
豊田古童 生年不詳 - 嘉永3年(1850)。本名は豊田勝五郎。初代山田如童、久松風陽に師事し、風憬、後に古童と称した。通称は「風憬古童」。
二世 荒木古童
文政6(1823)年 ー明治41(1908)年] 本名は荒木半三郎。号が竹翁。近江水口藩士荒木亀三郎の三男。幼少から芸事が好きで尺八を嗜んだ。最初は一閑流の横田五柳に付き、その後琴古流の豊田古童の門下となった。1850年に豊田古童が死去し古童の名を継ぎ久松風陽の門下となった。明治4年普化宗の廃止後、楽器としての尺八の復興に力を注いだ。後年長男に古童の名を譲り自らを竹翁と名乗った。弟子には初代川瀬順輔、上原六四郎、三浦琴童など多くの名手がいる。
三世 荒木古童
明治12(1879)年ー 昭和10(1935)年? 本名は荒木真之助。二世古童の長男。明治末期から昭和初期にかけて活躍。同門の初代川瀬順輔と共に三曲合奏に力を注ぎ、名人とうたわれた。童窓会等を主催し多くの弟子を育てた。
四世 荒木古童
明治35(1902)年ー昭和18(1943)年? 本名は荒木聚。号が梅旭(1923年より)。三世古童の四男。東京の生まれ、早稲田実業、東洋音楽学校卒業。9歳で父から手ほどきを受ける。尺八の他に雅楽、洋楽、三弦、箏等を学び研究。三世古童没後に四世古童を襲名。早くに嘱望されたが41歳で亡くなった。
五世 荒木古童(竹翁)
昭和13(1938)年 本名は荒木達也。四世古童の三男。東京の生まれ。早くに父が亡くなったため、その高弟吉田錦童から尺八を習い、また三世古童の高弟の木村士童(友斎)が後見人となる。慶応大学卒、アメリカ、ウェスリニアン大学の尺八客員教授として渡米。現地でアメリカ人女性と結婚し、長くアメリカに滞在する。一時帰国し、慶応の尺八と箏のクラブ「竹の会」の指導にあたるが、現在はアメリカ在住。
六世 荒木古童
(1970年- )本名は荒木半三郎。アメリカ在住。五世古童の三男。琴古流古伝本曲を父より習得し、ケルト民俗音楽を独習。1977年アルバム「ペイパーボーイズ」にてカナダ年間最優秀「ジュノー賞」受賞。2005年に自作のCD「An Tua - Six of One, Five of the Oher」で年間世界最優秀「新芸術家賞」受賞(ダブリン)。2008年に六世古童襲名。よって父五世古童は竹翁を継承。
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川瀬派・竹友社 :
明治27年に初代二世荒木古童の弟子だった川瀬順輔の一派。琴古流の宗家を名乗ったことで荒木派と激しく対立し、裁判沙汰にまでなった。判決では「琴古流はそれぞれが独立会派であって、都山流のような、組織化し、全体を統括する宗家は存在しない」です。
二代目の川瀬勘助が早世し、現在の宗家は三代目川瀬順輔。
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竹盟社 : 大正10年初代川瀬順輔の弟子山口四郎を中心として創設。四郎の五男の山口五郎は平成4年に人間国宝に認定された。平成11年に逝去。
日本竹道学館 : 昭和3年 初代川瀬順輔の孫弟子兼安洞童を館長として開設。現在の三代目館長の小野正童は小野正志の弟。美風会 : 昭和8年 初代川瀬順輔門下の鳥井虚無洞の弟子吉田晴風の門下の佐藤晴美が創始。鈴慕会 :初代川瀬順輔の弟子青木鈴慕が創始。長男の青木道夫死去により次男の静夫が二代目青木鈴慕を踏襲。平成11年人間国宝に認定。現在三代目青木鈴慕。童門会 :三世荒木古童の弟子納富寿童の系統。納富寿童(本名は安治)。明治28年佐賀県の生まれ。佐賀中学時代から尺八を始め、大正4年上京。三世荒木古童の内弟子となり、大正5年寿童を名乗った。大正7年独立し、寿会を主宰。
荒木古童を主宰者に童窓会を結成し、その幹事を務めた。昭和6年荒木派独自の楽譜を出版。日本三曲協会理事を務めるなど一時は琴古流の代表格になった。昭和10年三世荒木古童の死去に次いで、四世古童の早世で、荒木派の大数が納富寿童の寿会に流れた。昭和42年人間国宝に認定。48年嗣子・哲夫に寿童の名を譲り、寿翁と改名。昭和51年逝去。
怜風会 広門怜風の一派
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尚、京都明暗寺系の虚無僧本曲を踏襲する 近藤宗悦の宗悦流は琴古流に属さない。琴古流は江戸・東京を中心てするグループである。

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