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田中角栄の逸話他(日本の戦後を知る)1−1 

2021年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?田中角栄の逸話他(日本の戦後を知る)1−1 ☆田中角栄「首相の犯罪」で糾弾され、政界を追われた *今の時代「不世出の政治家」「天才」と見直されている ☆恵まれない境遇からのし上がり、彼のずば抜けた人心掌握術 ☆彼が成した「功」と「罪」を振り返る?田中角栄のプロフィール ☆新潟県の貧しい農家の七人兄弟真ん中で生まれた *最終学歴は二田高等小学校で、田中土建工業を経営していた *四七年に衆議院議員に初当選 ☆閣僚や自民党幹部を歴任し首相となる ☆日中国交回復などの成果も挙げた *「田中金脈問題」を契機に退陣?田中さんの人心掌握術優れていた ☆大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前での挨拶 *これから一緒に国家のために仕事をしていくことになる *お互いが信頼し合うことが大切だと思う *今から、大臣室の扉はいつでも開けておく *上司の許可を取る必要なく、何でも言ってほしい 「できることはやる。できないことはやらない」 *しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う *これを聞いた大蔵官僚たちは、一発で参ってしまう ☆君たちは自由にやれ、責任は私が取る *心酔しない部下はいないでしょう ☆その後、山一證券が経営不振に陥る *救済のために日銀特融、日銀による特別融資が行なわれた *それを断行したのが大蔵大臣の田中さんでした ☆官僚の場合、過去に例のないことはやりたがらない *田中大臣は「責任は俺が取る」と言って救済させた ☆就任あいさつはハッタリでも何でなかった?金にまみれた総裁選&隠れ田中派は野党にも ☆田中角栄が総理になった時の自民党の総裁選 *1回目の投票で田中さんと二位の福田さんとの票差は6票 *開票結果に田中さん驚いた *大勢に金を配ったのにこんなに少ないはずはないと ☆一位と二位の決選投票で、田中が勝ち、総裁に選ばれた *最終盤中曽根康弘が出馬を取りやめて田中支持を表明 *中曽根は田中に七億円で派間の票を売ったとの噂が流れた ☆田中さんの凄いところ? *1回目の投票で盟友の大平さんに票を回していた *その為、大平さんに入った百一票 *二回目の投票で田中さんに流れた ☆田中さんほど「生きた金の使い方」をする人はいない ☆福田派の議員が入院したとき田中さん自ら見舞いに行った *議員からすればそれだけでそれだけでも恐縮する *帰り際にさりげなく封筒が置いてあった *角さんは気前がいいから見郷金は50万円位と思っていた *中身をたしかめると500万円入っていた *このお見舞いを4回繰り返す、〆て2千万円 ☆ふつうの政治家とはスケールが違う?命懸けで日中国交正常化 ☆田中さんが総理になって、手をつけたのが中国との国交回復 ☆田中さんは総理大臣になってわずか3か月後 *北京を訪れて日中国交正常化への道を開いた ☆あの様な、突破力を持った人はもう現われないのだろう ☆それが、今の田中角栄待望論にもつながっている ☆中国との国交を回復するのは、難しい仕事であった *国連の常任理事国で、5大国の一角を占めていた中華民国 ☆新たに独立したアフリカ諸国を中心に *大陸中国に国連の代表権を与えようという動きが出始める ☆それを食い止めようとアメリカや日本は必死になる *国連総会で大陸中国の代表権が決議されて台湾は国連を脱退する *日本は台湾に義理立てをして国家として遇していた ☆田中さんが北京を訪れたのは、ピリピリした空気の中だった *今の時代からは想像出来ないが、命を懸けた外交交渉だった ☆福田派は田中さんの日中国交正常化に猛反発をした *「日中平和友好条約」の締結はは、次の次の福田政権の手で行なわれた                   (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?投資は、自己判断、自己責任、自己満足で?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『日本の戦後を知るための12人』より田中角栄の逸話他(日本の戦後を知る)1−1(『日本の戦後を知るための12人』記事より画像引用)

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