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京濱鐵道開業式 >東京南鉄道管理局編「汐留・品川・櫻木町驛百年史」< 

2021年04月02日 外部ブログ記事
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神宮外苑聖徳記念繪畫館壁畫集より「25 京濱鐵道開業式行幸」




東京南鉄道管理局編「汐留・品川・櫻木町驛百年史」より114〜117頁

開業式の意義と当日? 陛下の御臨幸を仰いで我が国最初の鉄道である東京〜横浜間鉄道 の開業式は,明治5年9月12日、横浜及び新橋停車場で行なわれたが、実は、当初9月9日に行なう予定だったのである。ところが9月7日が風雨で、9日もやみそうもない。開業式挙行を危しとみた工部省は急遽8日になって12日に延期したのである。諸事万端9月9日に照準を合せて準備してきたものを変更する作業は大変だったと思われる。? 「東京・横浜間鉄道建築竣功に付、伺之通り来九月九日開業仰付られ」た旨工部省から公表されたのは8月24日、翌25日には太政官から開業式挙行が布告されていた。電話のない時代に、明日に迫った式典、明治新政府初まって以来の国際的大式典の延期を連絡するのは大仕事だったにちがいない。ところで、新政府の鉄道開業式に対する力の入れようは大変なものだった。それはその筈であった。生まれて間もない政府はおよそ200万円程の歳入しかないのに、外債を募集し国内資金調達に苦労し、建設費だけでも約300万円の大金を投じて行なった日本の命運をかけた大事業の完成開業なのである。日本の鉄道は諸外国の鉄道のように採算を考えてつくったのではない。新生日本の将来のため、鉄道をつくることがどうしても必要なのだ、かくすることが国にも国民にも為になる、鉄道はその先駆者であり牽引車であるということでつくられたのである。だからこそこの100年間、災害で山崩れがあればそこまで列車を進め、橋が落ちて渡れない河があればその橋のたもとまで列車を走らせ、自分の家が洪水に流されようとも職場にかけつけ、妻が危険であってもハンドルを握って、汽車を走らせてきたのである。国民大衆のた めの奉仕でなく採算を考えて出来る業ではない。鉄道に与えられたこの使命は、100年たった現在でも変ってはいない。国鉄は商売ではないのである。明治維新を成し遂げた人たちが、新生政府にあってこの開業式を重大な区切りと考え、盛大な式典を横浜・新橋の2筒所に陛下の行幸をお願いして挙行したのはこのためであった。 さて、明治5年(1872平)9月12日(陽暦10月14日)は天候も回復し上天気であった。天皇は午前9時、直衣(平安朝以来天皇や高貴の男子が用いた袖や身ごろがゆったりしている平常服)姿で4頭立ての馬車にお乗りになって宮城を出発、芝汐留の新橋停車場に向われた。東京府知事代理川勝広一らが騎馬で先導し、皇族、太政大臣、参議、各卿以下が直垂(古くは庶民の平常服だったが江戸時代になって武家の礼服となった)を着用して従った。その前後を騎兵25騎ずつが、警護し、大手門、桜田門、幸橋あたりまでは近衛兵3箇大隊が、その先停車場までは東京鎮台3箇大隊の兵が道をかためていた。 天皇は近衛兵の吹奏する礼式曲オーシャンと捧銃に迎えられて鉄道館に入られ、山尾工部少輔・井上鉄道頭ら百官,各国公使,琉球 王子らが整列してこれを迎えた。井上鉄道頭から鉄道の図一卷を受けられた陛下は、午前10時、特別列車で横浜停車場での開業式へ向われた。? 列車の編成は、機関車1両、客車9両、計10両で、@A両目には近衛護兵が乗り、B両目に天皇陛下、文匣・剣を持つ侍従、有栖川宮熾仁親王、太政大臣三条実美、工部少輔山尾肅三、鉄道頭井上勝、式部助橋本実粱、そのほか侍従長、侍従、侍医らが乗車、C両目には外務卿副島種臣、参議西郷隆盛、同大隈重信、同板垣退助、そのほか文部卿、左院議長、教部卿、イタリヤ公使、アメリカ公使、D両目には大蔵大輔井上?、海軍大輔勝安房(海舟)、司法卿江藤新平、陸渾大輔山県有明、司法大輔福岡孝弟、開拓次官黒田清隆、そのほか教部大輔、宮内大輔、租税頭、陸軍・海軍・教部各少輔らが乗車E両目には司法権大判事松本暢、大蔵省三等出仕渋沢栄一・上野景範、東京府知事大久保一翁、外陸海軍少将数名が、F両目には従一位徳川駿勝・中山忠能をはじめ池田薩徳、細川護久、毛利元徳、島津忠義、松平慶永、二条斉敬、中御門経之ら旧大名などが乗車、G両目には式部侍従、工部大丞、工部少丞、鉄道助らが、H両目には式部侍従、工部省関係者が乗車した。(注:佐賀県には当日の座席表がある。) 岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通は欧米使節として外地にあって参列できず、大山巌もフラソス留学中で参列していなかった。  特別列車(御乗列車といった)の運転は、イギリス人汽車器械方トーマス・ハートが担当し、汽車監察方クリスティが同乗した。また、露払いとして「鉄道検査之汽事」(先行単機)がイギリス人汽車器械方頭取役ジヱームス・アナンドにより運転されている。 特別列車は、行幸(下り)新橋発午前10時 横浜着午前11時? ? ? ? ? ? ? ? ?   還幸(上り)横浜発正午 新橋着午後1時? ? ? で運転された。? また、当日は式典参列者送迎の列車が、横浜居留の外国公使、領事、雇外国人、日本人らを乗せて午前8時に横浜を発車、式典終了後午後5時30分新橋発で横浜へ運転され、式場警護兵800名の輸送を、早朝5時から6時30分までの間に横浜へ向けて3箇列車で行なわれ、帰りも12時半から午後2時の間に同じく3箇列車で行なわれている。  一方、仮開業中の横浜〜品川間の営業列車は全部運休している。 そして9月13日(10月15日)から、新橋〜横浜間の全線営業が開始されたのである。  開業当初の運転は、朝8時から夕方6時まで、12時1時発を除いて1時間等間隔で1日9往復で、所要時分は53分、表定速度は32.8キロ、中間駅はすでに開業していた品川(5月7日開業)、川崎・神奈川(6月5日開業)に、同日開業の鶴見を加えて4駅であった。 なお、新橋・横浜両停車場での開業式の模様は、それぞれ「汐留駅」「桜木町駅」の項に譲る。
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(了)

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