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高輪築堤保存に大隈重信が登場!佐賀県知事が羽生田文科大臣と面会 

2021年04月01日 外部ブログ記事
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「郷土の偉人・大隈公の功績残して」佐賀県知事が高輪築堤保存を文科相に訴え(東京新聞)
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郷土の偉人・大隈重信の功績を残して―。佐賀県の山口祥義よしのり知事は22日、萩生田光一文部科学相と会談し、昨年夏にJR高輪ゲートウェイ駅(東京都港区)西側で出土した日本最初の鉄道の遺構「高輪築堤ちくてい」の保存を訴えた。今年は佐賀藩出身で鉄道建設など日本の近代化に尽力した大隈の百回忌。業績をたたえるシンボルとして、遺構が脚光を浴びている。
【関連記事】保存か、開発か…JRと研究者で埋まらぬ溝<高輪築堤跡>
 大隈は1872(明治5)年に新橋―横浜間に鉄道を開業させた旗振り役の1人。当時の兵部省が高輪周辺の所有地を鉄道用に拠出しなかったため、現在のJR田町駅―品川駅間約2.7キロは東京湾の浅瀬に堤を築き、上に線路を敷く決断をしたと伝えられる。
 今年は1922年1月に亡くなった大隈の百回忌に当たり、同県は大隈と鉄道のかかわりをテーマにした展覧会などの催しを企画。その節目に合わせるように高輪築堤が出土し「ものすごい巡り合わせ」と担当者は興奮気味に話す。




高輪築堤の保存を願い萩生田光一文部科学相(右)を訪ねた佐賀県の山口祥義知事=22日、東京都千代田区で



 会談に先立ち、山口知事は初めて現地を訪れ、海岸と沖合を行き来する船のため、築堤の一部を切る形で設けた水路の跡などを視察。「あんなに素晴らしいものを壊すとすれば、佐賀県人として耐えられない」と力説した。
 萩生田文科相と「保存に向けて頑張ろう」と意気投合したという山口知事は、報道陣に「なるべく早い時期に、高輪築堤を研究するための県職員1人を1年程度、文化庁に派遣する」とのプランを披露。遺構保存にかける熱い思いを示した。(傍線は管理人)
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佐賀県報道機関への通知「高輪築堤跡現場確認と萩生田文部科学大臣との面会について」佐賀県ホームページ
佐賀県の大隈重信候百回忌記念大隈重信 100年 アカデミア
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管理人は、佐賀県庁に電話をして県知事に同行した政策部の担当者と意見交換をしました。開業式の列車の四両目には大隈重信と海岸寄り線路を主張した西郷隆盛も一緒だったと話されました。(汐留・品川・櫻木町驛百年史の開業式を次回のblog記事にします。)上京した折には、靖国神社付属地にあった「愛国婦人会」の石碑と千代田区役所前の大隈重信屋敷跡のモニュメントを見学して欲しいと要望しました。旧千代田区役所敷地に奥村五百子像が建立されていました。しかし、所在が不明(千代田区教育委員会文化財係の話)。同じ銅像が現在も、出身地の佐賀県唐津市内に建立されています。

愛国婦人会の創設者奥村五百子の銅像(写真集「偉人の俤」から)「写真集「偉人の俤」は2013年5月に靖国神社偕行文庫に寄贈した。」
佐賀市内に建立されている奥村五百子像(川口重雄氏提供)
千代田区役所前庭に建立されている「大隈重信候雉子橋邸跡」記念モニュメント。

早稲田大学大隈講堂時計台の針が午後1時25分を指しています。時間について「千代田稲門会」事務局に質問しましたところ、次のような回答がありました。『千代田稲門会事務局です。さて,お問合せ頂いている件につき,以下の理由で時刻を固定しておりますのでご連絡致します。千代田区役所にある大隈重信候雉子橋邸跡記念碑は,2010年に迎えた早稲田大学設立125周年を記念して,早稲田大学との協力で設立を致しました。この125周年の文字を表す為,時計の時刻を1時25分にしているとの事です。』
【新規にカテゴリー「高輪築堤保存問題」】
(了)

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