メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

八十代万歳!(旧七十代万歳)

今は昔となった昭和の思い出 

2021年02月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



超老害さんが辞めても、後継者たちの意識は古いままなんじゃないのかな。


ああいう考え方の人は謝っても反省はしないし変わりようがないでしょう。
会議は討論の場では無く、上の者の言うことを聞く場だと思って居たから、女性たちに色々言われるのが煩かったのでしょうね。内心「女は黙っとれ」と思っているわけで。


そんな賑やかなニュースを聞いていて、あの組織はまだ昭和なのかと感じたら、昔々の自分を思い出していました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昭和26年から35年まで勤めた路線バスの車掌時代・・・70年も前の話。


昭和の路線バスの世界はもっとあからさまに男尊女卑でしたが、戦後の「男女平等論」に強烈に影響されまくりの私は、平等でないことにいちいち文句を言って居ました。


「なんで運転手さんの休憩室を車掌が掃除しなきゃならないんですか?。なんでトイレ掃除は女にばかりやらせるんですか?。裏の整備士さん達は自分たちで掃除してるのに」
たちまち「車掌のくせに!生意気だ。車掌は運転手の世話をするのが当たり前だろう。と女の子にタバコを買いにやらせる。
私が対等のつもりで文句を言うと、頭ごなしに怒ってくる。頭コチコチの運転手がいましたが、そう言う人と6時間組んで二人で仕事をしても平気でした。自分の仕事を完璧にやるから、文句言われる隙がない。何しろ鎧兜で武装している娘でしたから。日々闘っている気分でした。
営業所長と渡り合って意思を通したことが2度ありました。
一度は勤務中乗り合わせた所長が、運転手がブザーで車掌に返事をしなくなったっと怒ったけれど途中でブザーが故障したのであり言い訳を聞かないとは何事だって真っ向から意見をぶつけたら、とっても偉い方だったので、すぐ納得して運転手に謝ってくれました。
2度目はその次の所長の代で、私の15歳の見習いさんが、ややとろくて2週間ではちゃんと覚えず見習い離れた途端運転手からあの子はダメだと言われて、見習い付け直しと決まりましたが、そんなことをしたらあの子は恥ずかしくて辞めてしまうでしょう。私が自分の仕事以外に、他の子に知られないよう彼女の車に私服で乗ります。その分の残業代はいらないから、彼女とは逆の勤務にしてください。と所長に直談判。これはその通りにしてもらったところ、彼女は初めてしっかり仕事する気になって、一週間たたずに、合格点になりました。上司に物申して良かったです。
こんな勇ましい娘でした。


男尊女卑で凝り固まっているのは少数派でリベラル派の運転手さんもいました。
二人の運転手さんと仲良くリーダーズダイジェストを回し読みして居ました。うんと年の離れたおじさん達でしたが。順番に雑誌を買って回して読み終わると私にくれるので、まとめて持って居たものです。そのおじさん達とのおしゃべりはとっても楽しかったです。


当時のあの雑誌リーダーズダイジェストはキラキラして居ましたよ。
70歳でハリウッド女優になる夢を果たした、アデリーン デウオルト レイノルズお婆ちゃんの実話は感動的でした。題名は「あくまで挫けなかった心」だったかな。
別の物語では、ユダヤ人の父親が戦後我が子を探しだしながら、我が子かどうか確信が持てず諦めようとしていた話。最後のシーンでぬいぐるみを貰った子供が叫ぶ「あ、ピンキーだ!ピンキーが帰ってきた!」の一言で我が子だと確信できた話。
この二つははっきり記憶して居ます。ダイジェストなのですが印象は強烈でした。


そんな娘時代、ガチガチに鎧兜で身を固めたまま、婚期を遅らせた私でした。モテるわけもない変な女の子だったわけです。妙なことから思い出話に飛んでしまいました。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


いまだに男尊女卑の思想が治らない人はお気の毒ですね。何十年遅れちゃったままなんでしょうね。辞職しようがどうしようが彼の考えは変わらないでしょうからね。お古いままで、世界からまで酷い悪口言われっぱなしで。お気の毒さま。


お次の方も、彼が選んだ方ではね、考えはかなりお古いんじゃあございませんの?お名前しか存じ上げませんけど。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ