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敏洋’s 昭和の恋物語り

日光・東北旅行 [6月11日〜6月13日](十二) 

2021年01月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



わたしが習った縄文人とはまるで違う、ほんとにお洒落な文化人だということです。
おいおいお話しできると思いますが、まずはこのことを知っておいてくださいな。
というよりコロナ禍が収まったら、青森県の三内丸山遺跡に是非にも訪れて頂きたいですねえ。
無論、九州は佐賀県の吉野ヶ里遺跡もですが。

ではでは縄文時代へとタイムスリップ! 
と、その前に。
すみませんねえ、毎度毎度、脱線ばかりして。
ここ縄文の地では、ガイドツアーがありました。
写真:公園内ガイドツアー
わたしも早速参加することにしたのですが、わたしだけのガイドさんということに。
12:00スタートで、ほぼ50分ほどの所要時間ということでした。
「少しぐらいなら待ちますよ」と声をかけたのですが「次を13:00にスタートしますので行きましょう」ということに。
お幾つぐらいだったか、5〇代? 60代? の女性です。
「若い女性好みだからがっかり?」
それは言わないように。

前回お話ししたように、道は石ころだらけの凸凹ではありません。
土と木くずを混ぜ合わせての、ほんとに歩きやすいものでした。


縄文時の土

現代では車中心に考えていますから、アスファルトやコンクリートの固い道路ですが、ある意味柔らかい土ですので疲れ方が違うかも? と思いましたね。








道路ではなく、道と言いたいですなあ。

そうそう、道幅は縄文時代と同じにしてあるとか。
どうだったかな、3〜4mぐらいだったかな。
まあその場所によって若干違っていたような気もしますが。
とに角ガイドさんの説明を聞きながらのことですから、メモをするどころではなかったですからね。


そうだった、これが全体マップです。
東京ドーム9個分ほどの広さだとか。
今回のツアーでは、その内の5平方キロを回るとのことでした。
それにしても、なんで広さをイメージさせるために東京ドームなんですかねえ。
どの施設やら公園等でも、比較対象は東京ドームですわ。
困るんですよねえ、それって。だってわたし、東京ドームを訪れたことがありませんもの。

野球観戦ですか? そりゃありますよ!
もっとも、生涯において(71歳だというのに)たった一度だけですけどね。
それも、55年以上も前のことなんですが。
聞きたいですか? 「どっちゃでもいい」。「長くなるだろうから聞きたくない」。
そんなことを仰らずに聞いてくださいな。

16歳の折りでした、夜間の定時制高校に通っていたわたしは昼間に大学病院(第二病理学教室)でのバイト生活を送っていました。
ガンの研究をされていた教授のお手伝いで、ネズミの世話です。
餌やり水交換、そして木くずの取り替えが主な仕事でした。
木くずは月に1回だったかな、町中の個人銭湯に行って分けてもらうんです。
で、年1回の恒例として名古屋のナゴヤ球場における野球観戦に連れて行ってもらったわけです。

中日対巨人です、嬉しかったですねえ。
大の、巨人ファンではなく長嶋ファンでした。
もっとも、外野席の上段でしたから、米粒ほどにしか見えませんでしたが。
でも、同じ場所に居るというだけで興奮しました。
いえいえこれからです、本番は。

お腹が空きましてね、売り子さんが来たときにペプシのミリンダオレンジジュースを購入しました。
はっきりと覚えていますよ。
なぜ飲料系だったのか、パン類ではなかったのか。
謎ですね、ミステリーですね。
実は、お金をですね、持っていなかったわけですよ。
同伴した先生方に借りれば良いものを、と、今は考えますが。

そういえば、誰と行ったんだっけ? ひょっとして教授だけ? だから畏れ多くて、気後れして言い出せなかった? 
すみませんねえ、相変わらず話が前に進まなくて。
氷もすぐに溶けちゃうような暑い夜でして、いや氷は入っていなかったわ。
生ぬるい炭酸ジュースを飲みましたが、その不味いこと不味いこと。
以来、ペプシ系飲料は飲まなくなりました。
まあ、ペプシ系だから不味いということではなく、単に生ぬるいから不味かったということでしょうがね。

あれ? ちょっと待てよ。もう1回、行ったかも。
年は取りたくないです、物忘れがねえ、時々いやいやたま〜にです。
その折は観光バスに揺られての、商工会議所主催の野球観戦でした。
試合後に、岐阜市の歓楽街:柳ヶ瀬で一杯やるか、という話もあったのです。
あれ、柳ヶ瀬、知りません? 美川憲一さんの[柳ヶ瀬ブルース]で有名なんですが。

ま、いいや。その折はバックネット裏の高い席でしてた。
そうなんです、ダックアウトの中がまるで見えないんです。
がっくりです。
前回の初ナイター観戦時の試合内容は覚えていませんが、2回目はよ〜く覚えています。
野球好きの方なら覚えてみえるでしょうが、1994年10月8日の中日との同率最終戦(通称、10.8決戦)でした。
観光バスの車内では、「中日優勝だ!」と興奮のるつぼでしたよ。

それはもう凄まじい試合で、結果は、巨人の勝利でした。
長嶋監督の胴上げも見られて、最高の夜です。
ですが帰りの車内はお通夜状態で、柳ヶ瀬で一杯なんて雰囲気はなし。
わたしは上機嫌で、「カンパーイ!」と行きたかったんですがねえ。
今の今まで、「ついていない人生を送ってきたかも?」と思っていたわたしですが、案外のこと、つきまくっている人生かも?
だってですね、幼稚園時代には生死を彷徨うほどの交通事故でしょ?
中学時代には両親の離婚。
で、自分自身もついでに離婚しちゃって一人暮らし。
そしてとどめが、心臓疾患。

でもでも、交通事故にしても後遺症なく生きているわけですし、心臓にしてもペースメーカーで楽になりましたしねえ。
それに加えて、[10.8決戦]を球場で生で見られたわけですよ。
長嶋監督が「国民的行事」と語った、あのプロ野球史上、[最高の試合] No.1 に選ばれた[10.8決戦]をです。
あれれれ……。
激しく脱線してしまいました。
つい、長嶋監督のことになると長話になってしまって。

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