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敏洋’s 昭和の恋物語り
敬愛する 芥川龍之介 を語る (作品)〜或日の大石内蔵助〜
2020年08月17日
テーマ:テーマ無し
この作品については、始めにテーマ及びそれに類似するものを書き、それを端的に又は外回りに示しているいるものに入って行こうと思う。
元禄時代の世間が、自分(大石内蔵助)の価値そして行為=仇討ち=の意味を、自分の考える以上に買い被りそして激賞していることに対する後ろめたさを、そして世間の利己主義さを描いた。
同胞の犠牲の上に成り立っている自分の今の名声―この事件前と変わらぬ自分への、賞賛に対する自責の念を、その心理を深く掘り下げた作品である。
大石内蔵助というより、芥川の大石内蔵助に対する感想を書いている。
受けたイメージを元に、新しい大石内蔵助を創り上げたといっても、過言ではないと思う。
それまでの、小説・舞台等に登場した内蔵助とは異質の人物像である。
「近代人的な悲哀」という言葉で、吉田精一氏は簡潔明瞭に表している。
しかし又他の一面から見ると、元禄時代の武士に、大正時代の小説家― 特に芥川の病的な程に繊細な神経を押しつけるのは、少々ムリがあり滑稽でもあった。
それに、四十七人もいる武士の内で、大石一人が味わったというのも不自然ではある。
が、芥川の目的は『鼻』『芋粥』同様、人生の幻滅を、念願の大業を成し果てた後に内蔵助が感じた虚脱感を描くことだったのであろう。
そんな内蔵助の心境は、こんな所にも読みとれる。
「まだ春の浅い座敷の中は、肌寒いばかりにもの静かである」
彼らの仇討ちが江戸町民の間にもてはやされ、そんな仇討ちブームがあるという話に、内蔵助以外の者は皆笑った。
そして、快く思った。しかし、
「唯一人内蔵助だけは、僅に額へ手を加えた儘、つまらなさそうな顔をして黙って」いたのである。
と共に、
「今までの春の温もりが、幾分か滅却したやうな感じ」を持ったのである。
そして同志達は、途中で脱却した者らは、背盟の徒と罵りはじめた。
若い武士達は、
「愈手ひどく、乱臣賊子を罵殺しにかかり」始めた。
しかし、
「その中に唯一人、大石内蔵助だけは、両手を膝の上にのせた儘愈つまらなさそうな顔をして、だんだん口数をへらしながら、ぼんやり火鉢の中を眺め」た。
「彼としては、実際彼らの恋心を遺憾とも不快ともおもってゐ」はした。
しかし、それは違った意味からである。
「憐れみこそすれ、憎いとは思ってゐ」なかったのである。
「何故我々を忠義の士とする為には、彼らを人畜生としなければならないのであろう。
我々と彼らとの差は、存外大きなものではな」かった。
我々という意味を、内蔵助自身ととるとより明確になる。
内蔵助は、
「放埒の生活の中に、復讐の挙を全然忘却した駘蕩たる瞬間を味わった事であらう」
「彼の放埒のすべてを、彼の忠義を尽くす手段として激賞されるのは、不快であると共に、うしろめた」かったのである。
「いっさいの誤解に対する反感と、その誤解を予想しなかった彼自身の愚に対する反感」とが、渦巻いていた。
そして「近代人的な悲哀」が、
「自らな一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した」として、内蔵助に感じさせた。
それはつまり、芥川自身のことを暗示しているのである。
*この作品から[孤高の武士 西郷隆盛]を書いてみたくなりました。まだ構想段階なのですが、死ぬまでに書き上げられるかどうか……。微妙です。
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