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敏洋’s 昭和の恋物語り

敬愛する 芥川龍之介 を語る (作品)〜戯作三昧〜 

2020年08月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



これは、滝沢馬琴の『馬琴日記抄』を元にしての作品である。
色々と調べてみると、滝沢馬琴の人生及び芸術観や、性格描写は、単に外面をすらすらとなでたものらしい。
芥川自身の人生観・芸術観、そしてそれらにまつわる諸々の問題、又感情を、馬琴に託したと受け取る方がいいであろう。
例えば、芸術と道徳との相剋、検閲官に対する罵り、民衆に対する孤高な態度である。

この戯作三昧は、対策として迎えられた。
私自身そう思うが、特に文章がきれいに掃除されて気持ちがいい。
芥川は、馬琴の口を借りて、和歌や俳句を軽蔑した。
自分の全部を注ぎ込むには、余りに形式が小さいというのである。
これを逆にとって考えれば、芥川の芸術はそんな小さなものでも、根の浅いものでもない、との自負心の表れであろう。

馬琴(或いは芥川)は、戯作の価値を低いものとした。否定した。
そして芸術的感興に陥ると、フト感じる不安を拭い去ることはできない
。芥川は、そんな馬琴に自分を見ているのである。
そしてそれを、こんな風に書いている。

「しかし読むに従って拙劣な布置と乱脈な文章とは、次第に眼の前に展開してくる。
― 略 ― 彼は急に、心を刺されるやうな苦痛を感じた。
― 略 ― 彼自身の実力が根本的に怪しいやうな、忌はしい不安を禁じる事ができない」
彼は、必死に戦った。
「静に絶望の威力と戦ひつづけた」のだ。
そしてその結果、彼は芸術至上主義の境地を、何ものにも惑わされない、汚されない、絶対的なものとみた。
そしてそこに、安住したのである。

「観音様がさう云ったか。
勉強しろ、癇癪をおこすな。さうしてもっとよく辛抱しろ」
「王者のやうな」「戯作者の厳かな魂」は、利害・愛情・名誉に煩わされることなく、唯
「不可思議の悦び」と「恍惚たる悲壮の感激」との中に、
「」あらゆるその残滓を洗って、まるで新しい功績のやうに、美しく作者の前に輝いている」人生を見た。
そして彼は、書きに書いた。全てのものを忘れて。
何と素晴らしく、羨ましい境地だろう。
しかし、そんな境地も『戯作三昧』で終わってしまった。
次の『地獄変』では、この境地を一歩進めた。その結果、…………

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