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平成の虚無僧一路の日記
南京虐殺事件はなかった? いやあった?
2020年08月13日
テーマ:テーマ無し
『NNNドキュメント’18/南京事件U 歴史修正を検証せよ』(日本テレビ・5月13日放送)が反響を呼んでいる。安倍政権による公文書改ざんが問題になっているが、日本軍による虐殺を「なかったこと」にする手口はこれと全く同じだった。戦争国家の隠蔽体質が現在に受け継がれていることを鋭く告発したドキュメンタリーだ。
調査報道で検証
1937年12月、中国の首都・南京市を占領した日本軍は、捕虜や民間人の殺害、略奪・放火・強姦などの残虐行為をくり広げた。これらの戦争犯罪を総称して南京大虐殺、あるいは南京事件と呼ぶ。ところが、日本では「虐殺などなかった」との主張が幅を利かせている。ネトウヨと同レベルの捏造(ねつぞう)説を平然と語る政治家も多い。 「興味はいつだって事実か否かだけだ」。そう語る清水潔は事件記者として35年のキャリアを持つ。自分自身で取材して真相に迫る調査報道の手法にこだわり、無期懲役が確定していた人物の冤罪(えんざい)被害を明らかにするなど、数々のスクープを報じてきた。 番組のチーフディレクターとして挑んだ南京事件の検証でも、事件取材の手法を貫いた。南京戦に従軍した日本兵の証言や当時の日記を手掛かりに、矛盾や不自然な点がないか、徹底的な裏取りを試みた。そして、捕虜の大量殺害が事実であることを証明したのである。 ある上等兵は日記にこう書いていた。「12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す」「その後、銃剣にて思う存分に突刺す」「一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」 日本兵が言うところの捕虜の「処理」。それは翌17日にも行われた。河原に集められた約1万人の捕虜に重機関銃の一斉射撃を浴びせた。逃げ惑う人びと。兵士の日記によれば「撃たれまいと、人から人へと登り集まるさま。即ち人柱は、丈余(3メートル以上)になっては崩れ、なっては崩れした」という。 この人柱の絵を清水ディレクターは南京大虐殺記念館で見ていた。そのときは「なぜわざわざ死体を高く積み上げる必要があるのか」と不審に思ったという。だが、事実は想像を超えていた。あの絵は「反日」目的の誇張表現ではなかったのである。
「自衛発砲説」の正体
丹念な調査報道で虐殺の事実を立証した番組(2015年10月4日放送)は、歴史修正主義者から目の敵にされてきた。たとえば産経新聞は、揚子江岸での捕虜殺害は「捕虜が暴れたため日本側もやむなく銃を用いた」ものなのに、番組は触れなかったと難癖をつけてきた。 いわゆる「自衛発砲説」だが、この否定論者の定番を今回の続編番組は徹底的に検証している。根拠は何か。どのようにして広まったのか。ネタ元をさかのぼると、1960年代の新聞記事にいきつく。捕虜殺害を実行した歩兵65連隊の両角(もろずみ)業作連隊長の回想録。これが「自衛発砲説」のルーツだった。 両角連隊長が言うには、自分は上の命令を蹴って捕虜を解放しようとしたが、捕虜が暴動を起こし当方にも人的被害が出たため、やむなく発砲したのだという。かなり無理のある主張だが、取材班は他の記録や証言と突き合わせ、事実確認をしていった。 まず、17日の捕虜殺害現場に連隊長はいなかった。日本軍の南京入城式に参加していたのだ。現場責任は部下の大隊長だった。その護衛に就いていた上等兵は「今日は南京入城なり」「俺等は今日も捕虜の始末だ」「一万五千」と日記に書いていた。 こんな証言もある。「内地に帰ってから箝口(かんこう)令がありました」「戦後、記事になったでしょう。捕虜を解放しろと言ったなんてね。船もなしに。偉い人はよくぬくぬくと言うなと思いました。とんでもない詭弁ですよ」(歩兵65連隊第4中隊少尉) そして、清水ディレクターは問題の記事を担当した元新聞記者(85)に直接会い、話を聞いた。「捕虜解放」の指示があった証拠とされる「両角メモ」。元記者は「昭和30年代に入って書かれたものだ」と断言する。やはりそうか。「自衛発砲説」なるものは、虐殺の責任者が責任逃れのために創作した後付けのストーリーだったのだ。
変わらぬ隠蔽体質
1996年4月、自衛隊市ヶ谷駐屯地で、旧陸軍の記録文書が焼け残った状態で大量に発見された。戦犯追及を逃れるために、閣議で焼却処分が決まった文書の一部である。南京攻略戦に関する書類もあったが、損傷が激しく、具体的な記述を読み取ることはもはや不可能だ。 番組冒頭と最後に出てくるこのエピソードを見て、誰もが「今の安倍政権と同じだ」と思ったことであろう。政府の嘘がばれないように、関係省庁が組織ぐるみで証拠隠滅を図る。それでも証拠が出てきたら、「おかしなところがある」と騒ぎ立て、信憑性を貶(おとし)めることに精を出す―。 安倍政権が森友・加計学園問題、さらには自衛隊の日報問題で行ってきた証拠隠滅は、戦争犯罪の否定と手口が同じである。歴史修正主義者が作った政権なのだから、当然と言えば当然の話だ。公文書の焼却で始まった戦後日本。そのなれのはてが、公文書偽造に関わった者が誰も犯罪に問われないアベ忖度(そんたく)ジャパンというわけだ。 嘘の連鎖をいい加減断ち切らないと、この国はまた戦争をやらかし、多くの命を奪うだろう。過去の戦争犯罪の検証を通して見えてきたもの。それは情報隠蔽国家の危機的現状であった。 (M)
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