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ニャンコ座リポート
息子を捨てなくちゃ (7/30)
2020年07月29日
テーマ:テーマ無し
明日、いよいよ息子が京都に帰ります。きっとすごく寂しいと思います。
放っておいたら死んでしまうんじゃないか、何か犯罪を犯してしまうんじゃないか、取り返しがつかないことになってしまってからでは遅いと、必死で連れ帰りました。きっかけは、妻子と一緒に暮らせない寂しさだったのでしょう。まったく人柄が変わってしまったかのように、苦しみもがき怖れ荒れ狂っている息子をただ見ているわけにもいかず、入院させました。
この病院の治療がどうだったのか、それは今もわかりません。退院してからも、改善は見られないまま、それでも私は、やりたいこと、やるべきことをこなしていったし、そんな姿を見せていくことが大事なんだなどと思っていました。息子の現実を周囲に隠せるものではないので、ありのままを受け入れてもらうしかありませんでした。
その後も、どう考えても良くなっているどころか、悪くなっているようで、秋から冬にかけては、どん底感がありました。よく私も折れてしまわなかったものだと、思い出すのも辛いです。たどり着いたのが、札幌の病院とデイケア施設でした。そこにかけるしかありませんでした。年前に少し体験して、年末年始家にいたのですが、私は小さな希望を感じていました。
年明けに本格的に治療が始まり、3か月から半年などと言われたのに、1月下旬には、本人も手ごたえを感じていたそうです。2月11日、いっちゃんの13年忌には、かなり回復した姿を見せてくれていました。
4月にはもう大丈夫だろうという話になり、本人は京都に戻りたかったようですが、コロナで移動制限がかかり、不可能になりました。札幌を引き払う車の中で、息子はすでに演劇の活動を再開していました。
そこからは、破竹の勢いで演劇活動を突っ走り、そう状態ではないかと心配もしましたが、私も巻き込まれての不思議で楽しい5月、脚の治療の留守番をしてくれた6月、楽しくケンカしながら別れ方を模索していた7月が過ぎていきます。
ずいぶん長いことそばにいてくれたのに、何もこれといったことしてやれてない。いったい何してたんだろう、1年以上も。せっかく与えられた、2度とあるはずもなかった、息子との暮らしだったのに。1月2日のブログに書いていました。「今年の目標:息子を捨てる」、そうだ、そうしなくちゃ。
私の気持ちなどどこ吹く風で、着々と京都での生活の準備をしている(ように見える)息子は、夜、町のごみ拾いがあるからと、明日の帰京(京都だよ)を決めました。3日からは次の公演の練習です。離婚問題はほぼ手付かずのまま、発達障害問題はこれから、息子の考えにすべて賛成ではないですが、私が助けてやることはできません。
だから息子を捨てなくちゃ。脚のリハビリをしながら、やりたいことをやっていくだけ。でも、いつでも逃げてこられる場所として、私はありたい。それ位許してほしい。
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