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雑感日記
昭和62年(1987)何となく人事のややこしい年だった 54歳
2011年08月10日
テーマ:テーマ無し
★サラリーマンにとって人事は大きな関心事である。 それに昇格などが絡むと余計にややこしくなる。
入社以来、殆どの職場で引き継ぎなしの新しい仕事を担当してきた。
そう言う意味で動いてきたので、自分の人事については、異動の前にどうなるのか?などと思ったことは殆どなかった。
広告宣伝をやれ、レースをやれ、仙台に事務所をつくって東北を纏めろ、大阪で大型車の販売網をつくれ、東南アジアに小型進出しよう、国内の販売網を担当せよ。
そして、二輪事業がこのままではダメだから何とか海外の販社を黒字に。などが異動の時の指示というか、理由であって、どのように対応するかは、誰からも指示を受けずに勝手に自分で考えて対応したものばかりだった。
★ところが、この年の組織変更と人事は、今までと違って自分で動くわけにはいかなかったのである。
この年までの4年間で二輪事業の将来は何とか見えた状態になったと言っていい。
大庭本部長は本社に戻られてこの年6月に川重社長が決まり高橋本部長は常務に昇格された。間違いなく全社は二輪事業の再建を認めたと言っていいと思う。
そして、単車と発動機の二つに分かれていた事業部を統合するということに決まったのである。事業規模は違うのだが、二つの事業部には企画も技術部も製造部もあって、それぞれ責任者が居るのだから、統合すると余ってしまうのである。だから統合するのだろうが、それぞれそこにいる長は大変なのである。
こんな渦の中に入っていくと大変だし、これは高橋さんにお任せしてだんまりを決め込んだのである。高橋さんは大変だったと思う。
何人かの副が出来て、私も会社に入って初めて『副』という肩書を頂いたのである。この年田崎さんもアメリカから企画に戻って副という肩書が付いたりした。
私は、安藤さんを援けて営業部門の副に移ったのである。
★直ぐ、上記のような基本認識で、営業総括部内の基本コンセプトを纏めて、動く方向を明確にしている。
ちょっと前までは250円であった為替は、この年には135円水準まで上がったりした。
圧倒的にUS市場中心の事業構造から、国内市場の拡充やジェットスキーの倍増などを鶴谷君などと推進したのである。
値上げなどの円高対策だけで対策出来るような生易しい円高ではなかったのである。
事業の構造から根本的に帰ることが求められていたし、そのまま企画をやっていたら、製造部門の別会社化とか、本社機能の充実とそれに比例して、子会社への売上なのだから、営業部門は縮小の方向、そして特に『KMCへの円建て移行』という構造対策を思っていたのに、その営業部門を任されてしまったのである。
営業に移ってからも
1.円建て移行の前提となるKMCの累損消去
2.国内市場対策
3.そしてジェットスキー事業の推進 が3本柱だと思っていた。
★営業部門として、直接自分でやれたのは『ジェットスキー事業の推進』だったので、当時の鶴谷主査と一緒に大いに集中したのである。
ジェットスキー事業が、単車部門の中で、アメリカ以外にどのように育っていったのかは、多分この資料以外にどこにも残っていないと思う。
そんなことで営業に移ってからもアタマの中にあったのは
★こんなプロジェクトを企画の中にこの年の3年前に立ちあげて、海外の連中と半ば非公式に推進していったのである。
具体的に、専任が付いて動き出したのは、
昭和60年に鶴谷君がオーストラリアの社長から帰任して、独り専任で担当してくれたのと、福井昇君が唯一明石でジェットスキーが乗れるライダーとして、このプロジェクトに参加してくれてから軌道に乗りだしたのである。そしてこの年の3月には、J/Sプラザ神戸が開店し、同じ3月福井君は独立して、実質国内1号店のJ/Sプラザ明石を立ち上げたのである。
福井昇君は発動機で趣味でジェットスキーに乗っていて、当時の日本では指折りのライダーだったのを、発動機から私が貰い受けたのである。彼の運命を変えてしまったのかも知れぬが、まあ成功の部類だろう。 今はNPO The Good Times の理事さんで手伝ってもらっている。
そしてこの年の5月、やっと営業本部内に正式な組織として、『市場開発室』が出来たのである。
このプロジェクトを陰になって支えてくれたのは、故武本一郎さんである。そして中心で推進したのが鶴谷君である。そんな人たちがみんな企画から営業に異動したので、こんあ組織が正規に生まれたとも言えるのだろう。
★この年4月には、国鉄が民営化された年なのである。
国鉄も変わったが、私の仕事も企画から離れて、また自由に動きだす事が出来たのかもしれない。
この年、54歳である。
ここから退職するまでの10数年間は、結構面白くやっている。
振り返って考えてみると、この年の1月から5月まで、単車と発動機の統合が決まってからの半年間が、長い会社生活の中で、あまり何もせずにじっとしていた、ある意味『サラリーマンらしい』半年間だったのかも知れない。
★翌年からは、大分県直入町にサーキットを造ろうと夢中になったり、
ソウルのオリンピックに『ジェットスキーチーム』が招待されて、オリンピック村で過ごすなど、あまり普通の方が経験できないようなことばかりが続くのである。
5月には副がついたりはしたが、この年の12月には理事昇格が決まって、所謂1回目の退職金を頂き、サラリーマンとしての身分はこの年で終わっているのだが、それはそんな区切りだけであって、仕事のやり方などは何ら変わらずに過ごしたのである。
この年、私の上司になられた安藤さんはレース時代一緒の仲間だった、伝説のF21Mは安藤さんの作である。直ぐかっと怒られるのが特徴だが、私は怒られたことはない、よく気はあったほうである。
技術屋さんだったから、当然営業は初めての経験で、私はずっと支える身分であった。
安藤さんはカワサキ独自のトヨタ方式を導入されたり、アメリカのリンカーン工場も立派におやりになって、直前は技術本部長からの営業転籍で、
高橋鉄郎さんとしては、営業も経験して次の事業部を・・・と思われたのではと推測するが、翌年その生産方式の導入をヨーロッパに展開するとかで、本社からお呼びがかかってしまうのである。
いろいろあって、なかなか思うようには動かないものである。
何となく、不思議に思える1年であった。
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