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吉川元春館跡、万徳院跡 

2011年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
 久しぶりに吉川元春館に行ってきました。
  中国道を広島北で下り、R40?R433経由で、道は空いててつい
飛ばし勝ちになりました。 
                                                           
 
途中の豊平どんぐり村。      



 
    
   あっという間に着きました。戦国の庭歴史館(吉川元春館跡資料館)



   
   館内   発掘調査の成果を展示しています。



  
 
  元春が天正十年(1582)の備中高松城の戦いの後、嫡子の元長に家督を譲り
隠居し、自身の隠居館として天正十一年(1583)に建設を開始。
 
館の細部は未完でしたが、元春はこの館に入り隠居生活を開始しました。
 
しかし天正十四年(1586)に建設半ばで元春が九州で死去。
翌年の天正十五年(1587)には嫡子の元長も病死してしまいました。
 
元長の弟、広家の頃に館は完成しました。
 
広家が天正十九年(1591)に月山富田城に移ると、徐々に居館としての機能を失い廃墟と化していったと思われます。
 
   館模型 


  
   相変わらず綺麗に整備されています。
   館の方には人がいませんがお休み処は結構混んでました。                                                



 
吉川元春、元長墓所

 
 
 
 
 
 

 
 
 
万徳院
天正二年(1574)頃に吉川元春の嫡男、元長が建立した寺院の跡です。
当初は山中の谷あいにひっそりと建つ、いわば別邸でしたが、元長の死後
弟の広家が吉川氏の菩提寺としてふさわしい寺院を求め、長い参道や石垣
庭園、建物などの大改築を行いました。
 
しかし1600年に吉川氏が岩国に移されると万徳院もこれに従い建物ごと
移転しました。
 
これは万徳院ガイダンスホール「青松」。
当時の本堂の外観をモデルにし規模はそのままに再現した建物です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この裏から長い参道が伸びています 約230M
誰も居ないです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石垣と門跡 後の山は日山城の端
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
門の階段を上った所。
風呂屋を再現しています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
           庭園跡

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
動画

 
 

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