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ニャンコ座リポート
息子の奇々怪々 (5/27)
2020年05月27日
テーマ:テーマ無し
今日も遅くなりました。書きかけの時、NHKの人が来て対応していました。そのことは明日書きます。
昨日今シーズン初めて天窓を開けました。床下換気口を開けました。営業再開した「いずみ」へ蕎麦を食べに行きました。息子は健康のためにと、行きは歩きました。おそらく7q位でしょう。スポーツのほとんどは観るだけの人ですが、なぜかこの頃は良く歩きます。
息子は「笑の内閣 オンライン演劇 信長のリモート武将通信録」の制作にかかりっきりです。脚本を書き上げ、役者にオファーをかけ、40人にも及ぶ(いっせいに全員が出るわけではない)、ズームの繋がり具合をそれぞれ確かめ、衣装の算段をし、配信のシステムを考え決定し、調整をし・・・発達障害って、同時に色んなことができないんじゃなかったっけ。靴もそろえられない、洗濯物を普通に干すこともできない人が、相手によって別人ってくらいに受け答えを変える芸当。いったいどうなっているんだろう。
私のむなしい手伝いってのは、ズームをやるのに、いつもニャンコ座は(今回の時代劇には合わない)洋風の背景であると言い訳するので、モチベーション上げるために、オリジナル背景を作ったのです。
ここまでのコビット19の辛さは、私としては、息子のうつ病に比べたら、「へ」でもないことでした。4月に放っておけない状態(「ベニベニ」の練習中にも、「死にたい」と電話がかかってきた)と判断し、京都へ行って、帰省を促しました。GW明けに戻ってきてくれて、入院させました。ゆっくりと治っていけば良いと、薬と通院を続けましたが、京都で調停に出るたびに悪化したと感じました。
私に暴力をふるうことはありませんでしたが、狂っているとしか思えませんでした。死なせてやったほうが良いのかと、幾度思ったことでしょう。11月12月はどん底でした。
それでも自分の意志でたどり着いた、ホットステーションに助けてもらいました。自分で回復を感じたのは、2月に入って、札幌の友達に観劇や飲み会に誘われて、行きたいと思えた時らしいです。ねっ、人間に大切なのは何か、わかるってものです。
治った理由は、CRCTでしょう。ただ、息子の実感では内容よりも、何度も何度も診察してもらえたかららしいです。最初の入院では、医者と話したいのに放っておかれたと感じているようです。同時に飲み始めた、抗うつ剤も合っていたようです。
息子の失われた1年(本当はもっと早くからおかしかった)は、奇々怪々です。なぜ同じ人間がこんな風になってしまうのか。今となっては、自分でもわからないそうです。双極性障害の「そう」が出ているのではないかと不安ではあるし、うつ病は再発しやすいそうだし、抗うつ剤はやめ方が難しいそうだし、心配は尽きないのではありますが。
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