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平成の虚無僧一路の日記

憂国の士[三島由紀夫] 

2020年03月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「三島由紀夫vs東大全共闘」の映画が公開された。
https://youtu.be/M0Q2nigaY_M?t=5
1969年5月13日、東大駒場キャンパス の900番教室で、1000人を超える学生たちを相手に三島由紀夫が討論を行ったその記録映像。
三島といえば 極右。それと極左の対決だが、双方に共通する一致点が。それは、三島も 戦後の日本の繁栄の裏に、失った「日本人の心」を嘆く「憂国の士」であった。
「右翼」の根幹は「反共、愛国、そして親米」だが、三島はそれとはまるで違う。三島にとっての敵は「経済繁栄にうつつを抜かし堕落してしまった日本」そのものだった。ヤルタポツダム体制によって去勢され、米国の属国になった日本、魂を失った日本人こそが、三島由紀夫の怒りの標的だった。その思想の根底には、左翼学生との共通項が見い出せた。
この討論の1年半後、三島は割腹自殺した。

その日、私は 1970(昭和45年)11月25日、私は慶応の三田校舎で授業を受けていた。すると遅刻してきた学友からメモで「三島由紀夫が自決した」ことを知らされた。あの時の衝撃は忘れない。
三島由紀夫は身長163cmと小柄、病弱で徴兵検査にも洩れた。その劣等感が彼を、剣道、居合い、合気道、そしてボディビルに駆り立てた。
35歳で筋骨隆々。褌一本のヌード写真でその肉体美を誇示し、また模擬切腹シーンを撮らせている。三島は「腹を切る時、脂肪がついていると切れない」。また、「脂肪があふれ出るようなぶざまな死に方はしたくない」とも語っていたという。
「人は死ぬために生きる」言い換えれば「人は死に際をどうするか、それまでの生き様が問われる」というような言葉には、私も同感だ。三島は老いて老醜をさらすことを忌み嫌った。その言葉を、三島と親しかった川端康成も敏感に受け止めていたようだ。川端康成もその後60歳を一期に自殺した。三島の必死の要求を自衛隊員は嘲笑と揶揄の怒声で封じた。彼の命を賭しての行動は茶番に終わった。「隊員を制して、静かに耳を傾けるように命ずるべきだった」という自衛隊の幹部もいた。
https://youtu.be/bprGPmEwiw0?t=5
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三島の死から50年が経ち、すべては風化したかのように思える。だが、三島が死を賭して訴えた「憲法改正、自衛隊の明文化」は、今ようやく安倍政権によって成されようとしているが、これも賛否両論なかなかに進まない。
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