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平成の虚無僧一路の日記

「安寿と厨子王」の誕生地は「いわき市」か? 

2020年03月24日 外部ブログ記事
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2011年3月26日の投稿記事です
2011年3月11日の「東北大震災」、そして「福島原発」騒ぎで、福島県の太平洋側「浜通り地方」の都市の名が 連日紹介されている。そのひとつ「いわき市」は、昭和41年、「常磐炭坑節」で有名な「常磐」と「小名浜」などが 合併してできた時、「日本一広い市」「ひらかな名の市」として注目を集めた。同時に「常磐」も「岩城」「磐木」の漢字名は 忘れられた感がある。その「いわき市」に「安寿と厨子王 誕生の地」という名所が、あるそうな。

「安寿と厨子王」の物語は、元々は 中世の「説教節」で丹後(現京都府)地方の伝説 『さんせい太夫』。それを 森 鴎外が 小説『山椒太夫』にし、映画にもなって広まった。子供の頃、その映画を見た私は、「人買いにさらわれて、奴婢となる話」に、恐怖心を 煽られたものだ。当時は、「泣く子は 人さらいが来て、さらわれて行くよ」と、よく脅されたものだった。森鴎外の『山椒太夫』では、二人が住んでいた所を「岩代国」としている。ところがどっこい「岩代国」という国は、明治2年になってできた国なのだ。平安時代には無かった。平安時代は「陸奥国」一国。森鴎外の大ミスである。江戸時代は「陸奥の国」と「出羽の国」だった。
そして、戊辰戦争直後の明治2年、陸奥国は「岩代国、磐城国、陸前国、陸中国」の4カ国に分けられた。しかし、それも わずか3年だけの ことだったのだ。福島県の西半分が「岩代(いわしろ)国」、東が「岩城(いわき)の国」である。さて、「安寿と厨子王」の原点である「説教節」の『さんせい太夫』では、二人の父を「岩城(いわき)判官」としている。この「岩城判官」という名から、「いわき市」が安寿と厨子王の生誕地と 名乗りをあげた。しかし『説教節』では、「岩城判官」は「奥州50郡を治める平正氏」とし、伊達の郡(こおり)、信夫(しのぶ)の庄の住人」というのだから、「安寿と厨子王」の住居は、「現在の福島市」となる。福島県の中通り地方だ。そして、その近辺でも、あちこちに「伝説の地」の碑が建てられているそうな。

 福島市の信夫山にある「安寿と厨子王丸物語由来の地」の碑そもそもは、この話は、まったく荒唐無稽な創り話なのだが。

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