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信長を導いた戦国革命児斎藤道三 

2020年02月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



斎藤 道三プロフィール

 ☆戦国時代の武将、美濃の戦国大名、道三流斎藤氏初代当主
 ☆名としては、長井規秀・長井秀龍・斎藤利政・道三などが伝わる
 ☆娘に、姉小路頼綱正室、帰蝶(濃姫、織田信長正室)などがいる
 ☆下克上大名の典型
 *名もない境遇から僧侶、油商人を経て戦国大名にまで成り上がった
 *権謀術数を用い、道三は美濃の戦国領主として君臨した
 *子供義龍へ家督を譲ったが、長良川河畔で義龍軍に敗れ討ち死にした
 ☆信長を導いた戦国革命児、斎藤道三
 *斎藤道三、明智光秀の主君
 *娘婿である織田信長は、道三の性格を受け継ぎ天下布武を掲げた男

斎藤道三、長井家乗っ取っる
 ☆道三油売りに従事しながら行商の旅にも出てる
 *美濃でかつての弟弟子・日護房に再会
 *彼の紹介で美濃守護・土岐氏の老臣長井長弘へ仕える
 ☆長井長弘は、道三の才能と武技を気に入る
 *守護である土岐政房の長男・土岐政頼、兄弟(頼芸・政頼)等に目通りさせた
 *土岐氏では、家督争いが勃発し、土岐政頼が勝ち美濃守護の座を得た
 *頼芸に気に入られていた道三は、政頼を追い出して頼芸を守護にした
 ☆土岐家の実務は長井長弘らが請け負っていた
 *道三は、長井長弘夫妻を殺害し、同家を乗っ取る
斎藤道三、美濃の大名に
 ☆長井家を乗っ取った道三は、本拠を稲葉山城に移動
 ☆守護代が亡くなると、道三がその名跡を継いで斎藤氏を名乗る
 ☆斎藤道三美濃を奪い取ろうと立ち上がる
 *相手は、土岐頼芸で、自身の主君で、守護をぶっ叩きに行く
 *土岐頼芸のいる大桑城に道三が攻め込み、クーデターは成功
 ☆斎藤氏と織田氏の和睦が成立した時点で、道三による美濃の支配が確定した
斎藤道三は、家督を譲った子供、斎藤義龍と戦い死亡
 ☆道三は、義龍を毛嫌いしていた
 ☆斎藤義龍が道三を追い込んだ合戦、長良川の戦い
 *信長が自ら援軍に急行したが、道三は既に死亡していた
 ☆道三の死亡により、信長は、美濃とも対決モードで挑まなければならなくなった
 *信長にとり幸運にも斎藤義龍が急死した
 ☆信長は、後を継いだ斎藤義龍息子の斎藤龍興と戦い、信長が勝利した
 ☆最終的に美濃国は織田信長の氏のものとなる
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出典、BUSHOO!JAPAN(武将日本)、NHK歴史秘話ヒストリア
















信長を導いた戦国革命児斎藤道三
(NHK歴史秘話ヒストリアテレビ画面より画像引用)

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