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敏洋’s 昭和の恋物語り

(二十五)五日目:生地(聖地)伊万里に向け、GO GO GO!  

2019年09月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



期待外れの結果に終わりましたが、思ったほどは落ち込んでいません。
色んな事が思い出されて、「うんうん」と変に頷いたりして、おぼろげだった事象がはっきりとしてきました。
さあでは、長崎に入りましょうか。
お昼には未だ早いのですが、少しお腹も空いてきましたし。

チャンポン? そうですね、ここまで来たら、当然そうですよね。
でも、長崎ではなく伊万里で食べたいと思います。
本場が長崎だと言うことは百も承知です。
でもそれでも、伊万里で食べたいのですよ。
そうだ、ローンレンジャー号と共にの写真を撮っていなかった。
「またか……」
そうおっしゃらずに、旅の記録としてですから。


来ましたよ、オランダ商館へ。



と言いつつも、駐車場がありませんねえ。
どうしたことでしょうか……。
ありました、ありました。
1台? いや2台分かな? 小さな小さなパーキングが。
建物に沿って横駐車ですね。
おっと! 標示板がありますよ、これはこれは。
身障者マークですねえ、大丈夫ですねえ、わたしは。
車にステッカーも貼ってありますし、ご丁寧に前後に2枚ですから。
車椅子マークですけれど、まあ大丈夫でしょう。
それにしても、正規のマークでは、はっきりと分かるものではないです。
それとも、万国共通なんでしょうか。



復元平戸オランダ商館

1609年(慶長14年)、オランダとの正式国交が開けた時に平戸に設置され、ヤックス・スペックスが初代商館長となった。
民家72戸分を立ち退かせて建設した。
1628年にタイオワン事件で一時閉鎖されたが、1632年に再開。
しかし1640年、建物の破風に西暦年号が記されているのを口実に江戸幕府はオランダ商館の取り壊しを命じ、当時の商館長フランソワ・カロンがこれを了承、1641年に長崎の出島へ移転した。
以後、幕末に至るまでオランダ船の発着、商館員の居留地は出島のみに限定された。

復元された平戸オランダ商館の外観

オランダ商館が出島に移った後、この付近は商人地となっていたが、オランダ塀、オランダ井戸、オランダ埠頭、護岸石垣など商館時代の遺構は現在でも残っている。
1987年から本格的な発掘調査が開始され、2000年の日蘭通商400周年をきっかけに復元計画が進み、2011年には1639年建造の倉庫(長さ約46m、幅約13m、約2万個の砂岩を使った2階建てで日本初の洋風建築)が復元され、同年9月に「平戸オランダ商館」としてオープンした。
各地から収集された絵図、書物、絵画、航海用具、日用品、貿易関係品、武器等が展示されている。 −−−−−Wikipediaより


ちょっとお茶目に、オランダ人に扮してみました。


灯台のようなものでしょうか。
やかんに入ってくる小舟のために用意された?



平戸城
平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。−−−−−Wikipediaより

もう一つ、ビッグニュースを!
[長崎の平戸城で泊まれる! 日本初の「城泊」施設、2020年夏開業へ]

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