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神々の相克2(天照大神「軍神」、伊勢神宮) 

2019年04月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



神々の相克2(神社本庁は「新宗教」)

神による非情な宣告
 ☆応神天皇(父仲哀天皇、母は仲哀天皇妻神功皇后)
 ☆神功皇后は、『日本書紀』では天皇の扱いの女帝
 *神功皇后は、長くから天皇と考えられていた
 (約100年前に天皇からはずされた)
 ☆新羅征伐の神託を聞いた仲哀天皇は、神託を無視した
 *偽りを言う神だと判断した新羅征伐を中止にした
 *結果、仲哀天皇は不可解な亡くなり方をする
 ☆仲哀天皇に代わって神功皇后が新羅征伐に乗り出す
 *その時、神功皇后は妊娠しており、戦争中応神天皇が生まれる
 ☆仲哀天皇の死亡は、天照大神の意思に逆らったことが原因 "
神前で願い事をする理由
 ☆現在の時代は、神は何らかの利益をもたらすと考えている
 ☆時代により、神の崇りを恐れ祈りをする人が多かった
 *天神として祀られた菅原道真
 ☆日本人が神を祀るのは、神の祟りを畏れ、神を鎮めるため
 ☆近代は、偉業をなし遂げた人物を神として祀るようになる
 ☆古代では、神を祀る事情はそれとは大きく異なっていた
伊勢の地が選ばれた理由
 ☆天照大神は、現在では伊勢神官に祀られている
 ☆天照大神が、当初から伊勢に祀られていたわけではない
 ☆『第十代の崇神天皇の時代(『日本書紀』より)
 *国のなかで疫病が流行し、多くの人間が死亡した
 *宮中に、天照大神と倭大国魂の二つの神を祀っていた
 *禍の原因は、二柱の神を宮中で祀ることが原因とされた
 (倭大国魂は、天理市にある大和神社に祀られた)
 (天照大神の祀り手は、垂仁天皇の第四皇女倭姫命に代わる)
 (倭姫命は、天照大神を祀る場所は伊勢国伊勢神宮とした)
なぜ天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのか
 ☆伊勢で、天照大神を祀る役割を果たすのが「斎王」
 ☆代々の天皇は、伊勢神官に参拝することはなかった
 *天皇では、明治天皇が初めて伊勢神宮参拝した
 *それ以前、代々の天皇は伊勢神官に参拝しなかった
 ☆理由は明らかではないが
 *代々の天皇は、天照大神のことを畏れ、直接接触することを避けた?
仲哀天皇の死亡も関わる
 ☆天照大神は、自らの下した神託に逆らつた仲哀天皇を死に至らしめた
 ☆夫の死を目の当たりにした神功皇后
 *身重であるにもかかわらず、新羅征伐の戦場に赴いた
 ☆新羅征伐を是非とも実現させようとする天照大神
 ☆「軍神」としての性格があることは間違いない
本当は恐ろしい天照大神
 ☆天照大神と弟須佐之男命による「誓約」の場面にすでに示されていた
 *伊邪那美命(姉弟の母)は、すでに黄泉の国にいた
 *須佐之男命は、母に会おうと根之堅州国へ下ろうとした
 *その前に姉のいる高天原にのぼってくる
 *天照大神の方は、弟が高天原を奪いに来たのではないかと考えた
 *荒々しく大地を踏んで弟を待ち受け軍神の姿である
 ☆天照大神が女神なのかどうかについて議論がある
 ☆『古事記』等で、天照大神の優しさを示すような話は出てこない
 ☆天照大神は、かなり恐ろしい存在
 ☆天照大神は、宮中からはるか遠く伊勢に祀り籠められていたとも言える
 ☆代々の天皇が近づかなかったのも、それゆえであったと考えられる
 ☆天照大神は皇祖神ではあるが、天皇の近くからは遠ざけられていた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』








神々の相克2(天照大神「軍神」、伊勢神宮)
(ネットより画像引用)

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