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昭和の飯はうまかった? (3/13) 

2019年03月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 石炭ストーブの事を書いたので、私が憧れていたのに地震が怖くて断念した、薪ストーブに触れておきたいです。
 私の家は薪ストーブでした。産炭地からは遠く、どちらかと言うと林業の町が近いので、薪を使う家が多かったように思います。学校は薪では寒いので、石炭だったのでしょう。もっと林業のおひざ元では、ただのように手に入ったおがくずストーブを使っていました。
薪ストーブと言っても、憧れの素敵な薪ストーブではなくて、写真のような物です。たぶん1シーズン位で傷んでしまい、買い替えたと思います。茶の間は畳にビニールレザーを敷いた状態で危ないので、木製でタイルを敷き詰めた、ストーブ台を置きました。これが結構きれいで、今ならばレトロなタイルインテリアです。そこにさらに、青いホーローのバットに水をはって、ストーブの下に置きました。
 ストーブの煙突は、湯沸かしをくぐり、いつもたっぷりのお湯が使えました。蓋はついていますが、たいていは開けっ放しで、ひしゃくが放り込まれていました。湯沸かしもホーローだったような気もするし、友達は真ちゅう色だったというし、アルミだったような気もするし、定かではありません。後に石油ストーブにとってかわられ、それが壁置き式になると、この湯沸かしが使えず、ストーブの上に置くタイプが主流になりました。
 冬の朝起きていくと、ストーブにお釜がセットされていて、沸騰すると釜のふちから、ドロッとしたおもゆ()が垂れてきて、それはそれはおいしい香りが立ち込めました。ストーブの上の、同心円状の蓋が何枚か取り外されて、釜のお尻の黒い部分が、ストーブの中に入っています。十分に沸騰したら、釜を持ち上げて、全部蓋をして、釜を再び載せ、蒸らしに入ります。この一連の様子を、子供は何もしないで見ています。幸せな時間でした。適当におこげの付いた昭和の飯は、うまかったのだと思います。
 薪を買うと、家の前に薪切り屋さんが来て、カットしてくれました。丸ノコが回って、チ〜〜〜〜〜 ポンッで出来上がり。それを父と母が、まさかりで割りました。出来上がった薪を、軒下などに積むのは、子供の仕事です。端っこは崩れないように、#にします。1日使うくらいを家の中に持っていって、ミカン箱などに入れました。今はとっても素敵な薪箱がありますね。
 丸太を積む貨車は、屋根も壁も無いタイプで、記号はTimber=材木の「チ」だったのではないでしょうか。いや〜、薪ストーブだけで、こんだけ書けるなんて、面白いです。
 体調今一ですが、午後はウォーキング教室に行きます。でも予報には、昼前後にマークがついています。

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