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2019年01月19日
テーマ:シニアライフ
「ドンジョバンニ」の予習の為、ユーチューブを色々探してみた。
中に、かなり古いながら、「東ベルリン、ドイツオペラ」の日本公演の映像があった。
見てみると、出演者の中に有名なワーグナー歌手、テオ・アダム等と並んで、なんとバリトンの友人の名前が・・。
大学の時から、立派な体格だったし、実に堂々とした騎士長役を演じていた。
在学中は賞づくしのピカイチで、卒業後も色々なコンクールで優勝して、その後はドイツのオペラ座に入団したとは風の便りに聞いていた同期生だ。
私がうんと頑張ったときに、いつも通りトップの座に居る彼と、何度か一緒のコンサートに出た思い出もある。
数十年後、私が音大に勤めた際、講師の名簿に彼の名があった。
「うん?」とは思いながら、何かの折にレッスン室が隣りである事が判明。
懐かしくて、ドアをトントンと叩いてみると、よく通勤途中で一緒になるおじさんが出てきたのだ。
「○君?」と、訝しく思いながら聞いてみると、向こうも怪訝そうだ。
旧姓を名乗ってみると
「ああ、○○さんかぁ・・。よく電車で会うよね」
私はいつも、昔とちっとも変わらない、と言われるのだが、彼は認識していなかったのだ。
それにしても、別人のように面変わりしている。
親しい友人に聞いたところでは、中学生だった息子さんが運動中に急死したそうで、それから暫くは、立ち直れない位の衝撃を受けていたのだという。
それからも、電車で時々出会って、息子さんの事も聞いた。
子供達は、ドイツで生まれたんだけど、日本で育てようと思い、まず家族が先に帰国して、その後自分も少しずつ仕事を整理して戻って来た・・。
詳しくは聞かなかったけれど、築いていたキャリアがあっただろうに、帰国という選択をしたのも、家族のためだったらしい。
父親にとって、息子が亡くなるというのは、体の一部を失う位のことなんだよ。
最近は、少年少女合唱団の指導なんかもしている。
昔の、世界に向かって羽ばたいている○君とは、人が変わった様であった。
地方の音大で教授をしていると言っていたから、東京での仕事も整理したのか、そのうち姿を見かけなくなった。
昨日、嬉しい気持ちを抱えながら、今はどうしているのかと、ネット検索してみると・・。
沢山の古い記事と共に、彼の死亡を伝える新聞記事も載っていた。
2015年67才で死去。
何ともやりきれない気分であった。
翌日、クラスメイトとのLINEに、そのことを書いた。
中には、新人演奏会で一緒に出演したコンサートを聴きに来てくれた友人も居る。
その彼女が、昨日電話をくれた。
「用事は無いんだけれど、○君亡くなったんだね」
この、洗練された心遣い・・。
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