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十牛訓ー4 <1−尋牛>@ 

2018年08月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>


<注>写真の十牛図に関して〜

<盛大な人生>書においての十牛図は 天風師の自筆にて ここで使用する<十牛図>は 下記分より添付しました。

伝周文筆 室町時代 / 相国寺承天閣美術館所蔵。


 〜〜 * 〜〜

 第一番が<尋牛>だ。
 一人の牧童が 牛を尋ねて深い山の中に分け入っている状態。そして あちこちを眺め見渡しながら 牛らしいものはいないかいな いないかいな と目をみはって そして探しだせないで 困りよわっている状態だ。
 これには詩がついている。

 たずねゆくみやまの牛は見えずして ただ空蝉のこえのみぞする
 
 これは 心身統一法のほうでいうと 病なり運命なりにつきあたって どうにもしょうがなくなっちゃって 何とか救われたいんだが 救われる方法はないだろうか。何とかもっと人間らしい生き方をしたいんだけれども どういうふうにしたら本当に人間らしい生き方ができるんだろうということを考えだした いちばん初めの気持をかたどったものだ。
 禅のほうではこれを 人間たちが自分自身で見失っている本然の自性 つまり自我の本質を探し求めようとする最初の気持だから <初発心>といいます。初発心を暗示したものなんです。
 仏教では 修行を志す者の三つの心というのがある。曹洞宗の道元禅師がいった言葉だと 私はうろおぼえに覚えているけども 三つの心というのは 一つ目が<喜心> 喜ぶ心。それから第二が<老心>。第三が<大心> 大きな心。
 <喜心>ていうのはね。喜ぶ心だ 読んで字のごとし。ただ 喜ぶ心というだけじゃあ 実はわかってるようでわかってないだろうと思うが どうだい? なにをよろこぶのかというと 普通の場合は周囲と違うもの そうだろ。
 田舎から嫁いできた女が せめて銀の指輪でもはめてみたいなあと思って 銀の指輪をもらえば喜ぶけども ちかごろの都会で育った女が 銀の指輪をもらったんじゃ喜ばないよ。やっぱりきらきら光るダイヤモンドがいい。そうすると お嬢さんはダイヤモンドで喜んでるけども 奥さんの方は こんなちっぽけなダイヤモンド しょうがないわよ せめて2カラットと こうなるだろう。だから 喜び方が違うもの。そういう喜び方は 真理のうえからいったら第二儀的なものなんだよ。
 じゃあ本当の喜びはどうなんだというと 仏教のほうではね 容易に得られないものを得たときが本当の喜びだというんだ。それを人間難有のことと言うんです。ありがたいことに会い 得がたいものを得られたときが本当にうれしいんだと。仏教でいう言葉がいいと思ったら 仏教のほうがいいと思え。天風のほうはまた別なんだから。
 別に私は仏教に逆らうつもりで言ってんじゃない。私は仏教じゃ救われなかったから 現在の心身統一法を教えてるんで どっちでもいいほうをとっていいんだよ。
 仏教のほうじゃこう言うんだよ。人間がなかなかありがたい 得がたいことを第一に

   人は悪行を離れて 人たることかたし
   巳にひとたることうるとも 女を避けて すなわちおとこたることかたし
   巳に男たることうるとも 六根を完備することかたし
   六根巳に備わるといえども 中国に生まれることかたし

 中国とは支那のことなんだけど これが少し面白くないんだよ 支那からきた仏教なものだから。それはね その時代の仏教は中国は美国といったんだ 美しい国。世界じゅうで中国ほどきれいな国はないと仏教では思ったの。ちょうど日本人が明治時代から大正の初めにかけて 日本は神の国だと言ったと同じような気持だったんだね。

   巳に中国に生まれるとも 仏性にあうことかたし
   巳に仏性にあうことうるとも 道者にあうことかたし
   巳に道者にあうことうるとも 信心をおこすことかたし
   巳に信心をおこすとも 菩提心を発することかたし
   巳に菩提心を発するとも 信もなく 修もなきことかたし

 わかったかい?

〜続く〜



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