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シニアの放課後

十牛訓ー3 序〜B 

2018年08月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<十牛訓>

 これから話す牛は 角の生えてる牛にたとえて話をするのだが 禅の言葉でいうと <本然の自性>というものなんだ。言いかえれば これが<仏性>だというんですよ、仏様のほうでは。もっと抹香くさい言葉でいうと <清浄法身>の願いというんだ。これがこれから話す牛のことなんだよ。
 これだけじゃわからないだろ。それを心身統一法でいうと いいかい <自我の本質>ということなんだ。これでわかったね。
 人間の本当の正体というものが いわゆる本然の自性。この本然の自性というものを非常に多くの人が 現在ややともすると 自分じゃ気がついてないんだよ。自分じゃ気がつかずに見失っている自我の本質というものを はっきり自分に悟らせて そしてその本来の霊光を発揚させんがために これをこしらえられた教えなんだ。
 禅定からいったら 一つの暗示的なものなんだな。詳しくいえば 我々は普通の場合 ややともすると 肉体に偏在する<我>にとらわれて 本来の自分 言いかえると 本当の自己を見失って ついに肉体や あるいは肉体を本位とする偏った考え方をしてしまう。これを<小我>といいますね。その小我にとらわれて あたら人生の価値も幸福も 自分から物好きに見失っている人々です。正しく悟らせよう 救おうというのがこの十牛の教えの目的なんだよ。
これは私がこしらえたんじゃないんだけど そう私は解釈していいと思うんです。だから 単に禅家の坊さんだけがこれを守らなきゃならないというもんじゃなく むしろもうあらゆる人間にこれを必要な教えだといって言い。
 これから見せる十牛の図は一体誰がこしらえたのかというと 仔細かまわずいえば 今から八百年前にー八百年前というのは 釈迦が生まれてから千二百年後だなー支那の今の常徳府の梁山というところにいた 廓庵師遠(注 かくあんしおん)という人がこしらえたといわれてるんです。臨済宗祖の義玄禅師から12代目か13三代目の人ですよ。私は今 うろおぼえに覚えてますけども。
 そしてこの廓庵禅師は 仏の道の教えて すべての世の中の人をして その命の中に生まれながら与えられてある仏性をだしてやろうとしたということになってるんです。
 これでわかったね。それじゃあいよいよ本題に入ろう。

〜続く〜


十牛訓一 <尋牛> より



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麗さま へ

メタセコイアさん

〜「たとえ身に病があっても、心まで病(や)ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい」〜
社会活動の真っ只中にいた頃よりも 現在シニアになってこそ <中村天風師>の生き方には到底及ばないものの それでも今更に 様々な師の言葉に 改めて想いを新たにしている次第です。
他に 心に残る言葉がありましたら 天風師の言葉でなくても 教えていただければと思います。

2018/08/22 16:44:54

はじめまして(^^)

麗さん

メタセコイアさん、
私は、素敵な言葉(名言)を集めるのが好きです。
自分のためにですけれどね。

中村天風師のお言葉で、メモをしているものがあります。

「たとえ身に病があっても、心まで病(や)ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい」

そうだな〜
たとえ病気だとしても、心まで病気になってはいけない!

心はいつも元気でいよう。。。
そんな風に感じた、お言葉でした。

いずれ、ブログに書くかもしれませんが…

2018/08/22 08:56:06

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