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在上海働くHuman日記
浪江町 馬場有町長さん安らかに。
2018年07月05日
テーマ:テーマ無し
こんばんは。お久しぶりのブログにお越しくださいましてありがとうございます。つい先程、お店の地域一帯が停電しました。日本じゃ考えられません、、。時間かかりそうですね、、、。冷凍庫や冷蔵庫の食材が心配です。 さて、、、。6月27日ニュースで浪江町町長さんの訃報を知り、喪に伏してました、上海からショコ姐です。何をしていても気分が沈み、思い出すと涙が滲む。 馬場町長さんは、浪江町をこよなく愛し、震災後も東電、国との戦い浪江町の復興へと尽力された偉大な方です。69歳は、まだまだこれから、、。ただ、体調を崩され、迷惑を掛けたくないということで、6月30日付けで辞職願いを出されていらっしゃったとのこと、どこまでも責任感の強い方です。 私ごとですが、馬場町長さんとはご縁が深く私の尊敬する中学時代の塾の英語の先生の弟さんであります。 震災前に浪江町教育委員会関係の視察後、上海での会食の時も声をかけて下さり、参加させていただいたこともあります。 その時のことが浪江町の会報に掲載されました。ほのぼの表紙。私の当時の写真。私の高校の担任だった畠山先生の文章。とても懐かしいです。帰省の際は、お忙しい中時間を割いて下さり町長室で歓談していただいたり、思い出すと涙が止まりません、、、。(涙) 最後にお目にかかったのは、昨年の御盆の時です。親友とお墓参りとそれぞれの自宅の跡地を自分たちの目で見た後で、浪江町役場のお祭りに参加した際です。 突然、力強い声が壇上から。目を向けると、馬場町長さんでした。ちょっと痩せられたかな?無理もないです、とにかく震災後の町民に尽力していらしたのですから。 私たちは、壇上から降りた町長さんへご挨拶に向かいました。 「御盆だからお墓参りにきたのか〜?」と、易しい口調でした。 あれからまだ一年も経っていないのに、、、。本当に、残念で仕方がありません。 母に電話をしたときも、あなたはお世話になったでしょう。と沈んだ声でした。 帰国叶わぬ状況で、なんとか気持ちを伝えたく私の先生の息子さん(=馬場町長さんの甥っ子)に連絡を取らせていただき、思いを伝えました。彼も父親代わりのように心配してくれた伯父さんの訃報を悲しんでいました。 浪江町の復興と言っても、原発の状況は好転していません。それなのに、避難区域解除になる摩訶不思議。現実は、放射能が強い地域は戻れていないのです。既に、他の土地で家を建てて生活基盤を作っている方たちは、戻る意味がありません。 でも、老人たちは戻りたいみたいです。以前の楽しかった思いでに縋っているような状態と思われます。なぜなら、私の母が戻りたい一人だからです。 大阪の地震で避難されていらっしゃる方もまだ沢山いらっしゃると思います。一日も早く安息できる状況になることをお祈り申し上げます。被災しないと分からない辛さがあります。 東電も国も、責任逃ればかり考えています。そんな怪物のようなものに真っ向から戦った馬場有町長さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。あの笑顔に会えないのが辛い。馬場有町長さん、ありがとうございました。 合掌
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