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岩崎 弥太郎(幕末から維新・土佐の人物) 

2018年06月24日 外部ブログ記事
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岩崎弥太郎(武士から実業家に転身し三菱を創始した男)

岩崎弥太郎生誕〜海運業へ
 ☆土佐国の地下浪人の家に生まれ、子供の頃から極貧の中で暮らした
 ☆海援隊の会計担当となる
 (「亀山社中」は、龍馬が脱藩罪を許されたため土佐藩が引継ぎ「海援隊」となる)
 ☆岩崎弥太郎は、九十九商会という海運業を行う私商社を設立
 ☆廃藩置県後三菱商会と改名し、岩崎弥太郎個人の企業になりました
 ☆新政府の軍需輸送を独占して巨利を占めた
 ☆海運業からの多角化によって三菱財閥の基礎を築いた
 ☆三菱の「スリーダイヤのマーク」
 (土佐藩藩主山内家の家紋「三つ葉柏」と岩崎家の家紋「三階菱」をあわせたもの)
土佐のいごっそう 海に目覚める
 ☆「いごっそう」とは、負けん気が強いという意味
 ☆土佐藩の貿易事業に携わり、交渉術が巧みなので土佐商会の責任者となる
 ☆長崎で坂本龍馬と出会い、龍馬が暗殺されたあと、龍馬の夢を受け継ぎ海運業に身を捧げる
武士だったスマイル命
 ☆岩崎弥太郎は土佐商会の事業を引き継ぎ三菱を立ちあげる
 ☆半官半民のライバル会社が年貢米の輸送を独占し事業はあまり芳しくない
 (ライバル会社は武士の商いでお客さんに対して威張っていた)
 ☆弥太郎は、従業員に対し小判の絵を描いた扇子を渡し 「お客を小判と思え」と指導した
 (お客さんに丁寧に接し、笑顔で対応するように徹底し事業を盛り返えす)
 ☆岩崎の経営は、先取りの精神が強く、外国人を積極的に社員にしたり、ボーナスを支給したりした
 ☆台湾出兵に伴う大量輸送で、三菱は政府に対して貢献し、日本政府は日本の海運を三菱に託す
欧米の巨大企業に対抗
 ☆上海航路に参入し、アメリカの海運会社との競争に打ち勝つ
 ☆イギリスの大企業との競争でも、「荷為替金融」という金融業で多くの問屋の顧客獲得に成功
 (イギリス企業を撤退に追い込む)
 ☆岩崎弥太郎は「東洋の海上王」と呼ばれ、三菱は、金融、造船、鉱山と事業を多角化していく
日本郵船の誕生
 ☆政府は三菱潰しの政策として共同運輸という巨大な海運会社を設立する
 ☆三菱と共同運輸は、値下げ競争で体力を疲弊していく
 ☆岩崎弥太郎は病にかかり52歳で死亡する
 ☆岩崎弥太郎の死後、弟の岩崎弥之助が後を継ぎ、三菱は共同運輸と合併して日本郵船が誕生
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、「NHK番組(歴史秘話ヒストリア)」、土佐の人物伝
















岩崎弥太郎(武士から実業家に転身し三菱を創始した男)(歴史秘話ヒストリアテレより画像画像引用)

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