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神護寺本尊は、何故薬師如来像? 

2018年06月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



神護寺(京都高雄にある高野山真言宗遺迹本山の寺院)

 ☆神護寺は、和気氏の私寺「神願寺」と「高雄山寺」が合併した寺
 ☆本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂
 ☆最澄もここで法華経の講義をした
 ☆空海の後、空海の弟子が別当(住職)となって護持されたが、平安時代末期には衰退していた
 ☆中世、神護寺再興に力があったのは『平家物語』などで知られる武士出身の僧・文覚
 ☆文覚は、弘法大師空海ゆかりの地でもあるこの寺が荒れ果てていることを嘆き再興の勧進を始めた
 ☆後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進んだ
 ☆鎌倉時代に華厳宗を復興した僧・明恵も神護寺に住したことがある

神願寺と和気氏
 ☆和気清麻呂は高級官僚で、歴代天皇の側近として平安京遷都などに力を発揮した
 ☆僧道鏡は、称徳天皇(女帝・孝謙天皇重祚)の信任が厚かった
 ☆道教は「八幡大菩薩のお告げ」により、自分が皇位を継ぐ者だと主張した)
 (称徳天皇は神意を再確認すべく、和気清麻呂を九州の宇佐八幡宮へ派遣した)
 ☆宇佐から戻った清麻呂は「宇佐八幡は、臣下の者が皇位に就くことを望んでいない」と奏上した
 ☆道鏡の怒りにふれ、清麻呂は皇位継承問題にからんで流罪になった
 ☆称徳天皇が死去すると、天皇の信望厚かった道鏡は左遷された
 (清麻呂は許されて都に戻った)
 ☆清麻呂が和気氏の私寺である神願寺の建立を願い出たのはそれから10年後
高雄山寺
 ☆高雄山寺は、現在の神護寺の地に古くから存在した寺院
 ☆和気清麻呂の墓所が今の神護寺境内にある(和気氏ゆかりの寺院)
 ☆最澄を高雄山寺に招請し、最澄はここで法華経の講説を行った
 ☆空海が高雄山寺に住し、ここで灌頂(密教の重要な儀式)を行った
 ☆この時、灌頂を受けた者の氏名を書き付けた空海自筆の名簿が現存
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、KBS京都『京都浪漫』、WIKIPEDIA














神護寺本尊は、何故薬師如来像?(KBS京都『京都浪漫』テレビ画面より画像引用)

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