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昭和2年生まれの航海日誌

 とった手綱に血が通う 

2011年05月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


              (ナンキンハゼ)

       君の言う”馬上の友” 私も深く感じ心を動か
      された。

       ぼくを前の鞍の上に乗せて、少年はうしろに
      に乗り、裸馬の引綱をとってと、いうくだりは、馬
      の背中を通じて血が通い、友情の手綱が結ば
      れたときである。

       何年ぶりかで再会した二人は、海軍、商船の
      それぞれの士官の道を進んでいた。

       海軍士官の方は、同一艦内で勤務しているの
      で、起居、動作の透察は確かで描写もすばらし
      い。

       欧文直訳ふうの口調やこの時代にしては
      ウィスキ―が出てくるのも面白い。

       我が国の初期の海軍は東郷元帥がイギリス
      の商船教育を受けていたので、多分にその影響
      があった。

       日本海海戦に出動した主力艦艇はイギリス
      建造であり、商船士官に予備海軍士官制度を
      導入した経緯を見ても明らかである。

       事務長は商船士官であるが、一般大学卒者
      が多く、予備海軍士官ではなかった。

       しかし、職責は重く、特に客船では重要なポスト
      となる。

       戦中、商船教育を受けたが、英語の教科が
      多く、専門学のときでも辞書を必要とした。
      それでないとやれなかった。

       漢文の授業で「しょう」をマストを読んで教官を
      苦笑させ、「流石,航海科」と、言わせた奴がい
      た。欧文直訳型も許されてよい。

       馬乗りの環境にある者が船乗りになるのは
      容易ではない。

       明治初期の親父達は、武士であり、百姓で
      あっても躾が厳しかった。

       良いことなのか、そうではなかったのか?
     

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