田舎より発信

取材する側、される側 

2018年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


財務官僚のセクハラ疑惑報道に関し、思うことをいくつか。 セクハラについて。相手の女性(女性に限らないか)が不快に思ったのなら、その時点でアウトだと全てセクハラという人がいるけど、でもそんなの世の中にあふれてると思う。言った本人は気が付かないような些細な事までセクハラ認定されたんじゃあ何も話せなくなる。おまけに、同じ言葉でも福山雅治ならOKと言った人がいたとか。 取材手法について。するもされるも全く経験がないので独り言だけどまず、取材される方(ほう)は、自身が対象者だと、対象に値する人物とみなされたんだと思うと何となくちょっとそこに邪心というか、優越感が軽く生まれたっておかしくないんじゃない?そして、警戒感も。 政治家や官僚なら、当然意識高い系だしさらに何か答えても、いつもあまり良くは報道されなかったりすると段々と答えたくなくなるのが心情じゃないかな。 そうなってくると、取材回数を重ねても取材される方は段々辟易してきて、何も話したくなくなるかも。で、自分の方が、答えてやってるという有利な立場に立ってるという意識も働いて相手を茶化したり、如何に煙に巻いてやろうか、とか多少取材記者を見下してきたりもするんじゃないかな。特にこういう官僚とか、自分は知識高いインテリジェンスだっていう自負を持ってたら猶更の事。いえ、まったくのわたしの妄想ですけどね。 取材する側は如何に相手から、こちらに有利な情報を引き出すか、他社を出し抜いて、スクープを得られるか。相手が警戒するのは当たり前。そこを何とかして上手く持っていけるか、それが腕の見せどころ。 1対1で会食してもうまくはぐらかされ、この場合セクハラまがいの言葉しか得られなかったとしたら記者は警戒されたままで、というか、ただ見下されてるだけだから本音のスクープなど得られないと思う。 本音を聞き出したかったら、まず相手との信頼関係を築くこと。これしかないと思うんだけど。 信頼関係を築くためには、長い時間が必要かも知れない。記者が真剣に向き合っていることを取材相手に理解してもらう、そのためには何度も何度も通ったり、時には身を引いたり例えば、今回はここまでは記事にするけど、ここはオフレコにしますとか、きちんと区別して発表する。名前を伏せてと言われれば、もちろんぼかす。絶対にうそをつかない。出し抜かない。 そうやって少しずつ信頼を勝ち取って取材相手が、この記者になら話していいか、と思わせるくらいに持っていかなければ、何も得られないと思う。記者が信頼されればセクハラまがいの言葉で茶化されたりしないだろうし、本当に自身が何も情報を持っていないときは詳しい相手を紹介してくれるかもしれないしその時も、もちろん○○次官の紹介です、なんて言ったらどこからも信用はいっぺんに崩れる。 なんにでも言えるけど、真剣勝負でぶつからないと。 ところが無断録音して他社に告発なんて言語道断。次官からのセクハラ被害を本当に嫌で困っていたとするならそもそも訴えるべきとこを間違えてる。 記者の上司について。セクハラを訴えてもその記者を派遣したのはその記者の能力を信じたから?セクハラに打ち勝ってでもネタ取ってこれる、と?まあ、甘々に解釈して考えてみてはいるけどそう思ってたらもっと記者にその思いを理解させないと。これじゃあ、ちょっと嫌な表現だけど女の武器を使ってこいと言われたと部下に思われても仕方ないと思うんだ。  ダラダラと考えをうまくまとめられずに、いつまでも記事をアップできずにいたら今日4月26日のネットTV、DHCテレビの『真相深入り!虎ノ門ニュース』で有本香さんがズバッと言ってくれました。 わたしと同じ思いを小気味よく伝えて下さったので同じ女性として、心強い限りでした。 政治担当の女性記者については青山繁晴参議院議員の著書『平成紀』にも記されていて、これ読んで記者の実態が大変参考になりました。 平成紀 (幻冬舎文庫) [ 青山繁晴(1952-) ]583円楽天    

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ