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野次馬評論
真実を伝えるむずかしさ
2011年04月22日
テーマ:テーマ無し
福島第一原発の地震と津波による損傷は今日現在回復の目途が立っていない。東電は一応復旧の工程表を発表したが、総理から急かされて、纏めたもので、どこまで実現性があるか疑わしい。 原発は当初から(本質的に反対を唱える人は兎も角として)各所に危険性は指摘されてきた。今回の何重かの予備電源の配置にしても、すべてが失われて、原子炉内及び使用済み核燃料棒貯水プールの冷却水が機能しなくなっており、その計画性に大きな問題点があったことは否定できない。 大事なことは、これらの問題点について、誰もが気が付かなかったということではなくて、行政の強い「原発安全神話」が先行していて、「安全なのだから対策を講じる必要はない」という帰結からスタートしているものだから、逆に十分な安全策が取れなかったという極めて(日本的な)皮肉なパラドックスに陥っていたのだと、断じざるを得ない。その好例が原子炉施設内に1台のロボットもなかったことである。つまり、安全で事故を引き起こす可能性が全くないのだから、ロボットを備える必要はないという論理だろう。 原発の安全神話は「官僚の無謬性」と「ここで修正したら、先輩の仕事にケチをつけることになる」という極めて内内の論理が優先して、本来あるべき姿を見失ってきたことにある。その強力な後押しをしたのが、御用学者と言われる東大を中心とした先生方であり、本来問題点として指摘しなければならない立場でありながら、黙認してきた罪は大きい。
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