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平成の虚無僧一路の日記

「六段」の作曲者は「八橋検校」ではない? 

2011年04月21日 外部ブログ記事
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論日本音楽(日本音楽社発行)通号21(1949年10月)P.10〜11
田辺尚雄氏が『日本歴史講和 ―六段曲は誰の作か』という論文を
発表している。

ここで田辺氏は、江戸時代には、「『六段』が八橋検校の作」と
書き記したものは存在しない。明治以降」と断定している。また、

琉球には、『一段(瀧落菅攪)』、『二段(地菅攪)』、『三段
(江戸菅攪)』、『四段(拍子菅攪)』、『五段(佐武也菅攪)』、
そして『六段(六段菅攪)』、『七段(七段菅攪)』の7つの
器楽曲がある。

そのうち、『六段菅攪(すががき)』は、本土の『六段』と寸分の
差がない。拍子数が同じだが、調子は平調子ではなく、筑紫流と
同じ雅楽の呂旋法となっているから、曲調は全然違って聞こえる。

古典的な手法が用いられており、左手法も古風で単純。従って
『六段』は、琉球の方が素で、本土の方が後であると言える。

以上が田辺尚雄氏の論説だが、琉球の『六段』が、筑紫流の
流れを汲む、現存最古のものとすると、音階が雅楽の呂旋律
だった。

それを「平調子」に改めたのが、「八橋検校」ということになる。
田辺氏は「六段を八橋の作曲とする史料は江戸時代にはない」と
断定しているが、1782年刊行の『筝曲大意抄』に「六段之調子、
八段之調子、乱輪舌」他 組歌の目録を挙げ、「右 八橋検校作」と
明記されている。

田辺氏が、この『筝曲大意抄』を知らなかったとは解せない。

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