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昭和2年生まれの航海日誌

皐月賞が来ると想い出す人々 

2011年04月21日 外部ブログ記事
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歴代の皐月賞馬は70頭が挙げられ、いずれも
  名声を博した駿馬であった。
  そんななかでも忘れられない一頭は
  「ミホノブルボン」である。

   「名前もいいが関東馬か」
   「いや、関西期待の馬だよ」
  こんな会話は、当時関西フアンの間ではどこでも
  交わされたことである。

   実際問題として、阪神、京都、中京、そして
  小倉でも関東馬が突き抜け、関西馬は後塵
  を浴びるだけのようだった。

   三冠馬の第一門の皐月賞は雨上がりの
  中山競馬場で行われた。

   ミホノブルボンはゲートが開くなり先頭に
  立ち快調に4コ―ナまで走り続けていたが、
  ここで他馬もどっと押し寄せてきた。

   4コ―ナを回る時、騎手の小島(貞)は2度
  3度と左右後方を確かめた。

   だが、ミホノブルボンは一段と加速して、
  他馬を引き離しゴールしたのであった。

   優勝騎手インタビューで
  「4コ―ナで振り返りましたね」
  「自分が弱いからです」と
  とっさに答えた見上げたものである。

   厩舎、馬に詫びているのであった。
  距離適性に疑問がなかったものでは
  ないし、それに、内気な自分を自厩舎の
  馬に騎乗させた戸山師の配慮を考えて
  いたものであろう。 

   ダ-ビーも小島を乗せダービ―ジョッキー
  の仲間入りをさせた。
   そのインタビューではこんなことが判っ
  た。
   「負けるのは 、馬が弱いと思え」と言いって
  送り出している、戸山師は。

   2冠を制して、菊花賞のときには
  「この出走はもう、人間のエゴです」と言われ
  た。

   皐月賞が長い、それでもダービーに勝つと
  これだと、言われたのだろう。

   あの皐月賞が過ぎた翌年5月に戸山師は
  逝去されている。
   
   きっと、ミホノブルボンが皐月賞でゴールを
  駆け抜けた光景を彷彿とされたことだろう。

   今年の皐月賞はどんな場面をみせてくれ
  るか、毎日を楽しみにしている。

   
     

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