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独りディナー
講評
2017年11月26日
テーマ:音楽
何時の頃からか、コンクールの審査に行くと、
「受験者に渡すので、良い点と改善すべき点などを書いて下さい」と、講評を頼まれる様になった。
スペースはそれぞれだけれど、なるべく暖かい言葉で書いて下さい、と言われる。
なまじ正直なことを書くと、親御さんからコンクールの本部宛てに、苦情の電話があったりするらしい。
演奏した後に講評されるのが嬉しい、というのはよくわかるので、私も真剣に向き合う様にしている。
昨日もその審査があって、書きながら私は、この講評を書くのが楽しい、という事に気づいたのだった。
若い人達の演奏だから、聴いていると、否定的な印象から始まることも多い。
やたら、大きな音を出すとか、旋律が息切れしているとか、音符をなぞっているだけだったり。
しかし、数分聴いていくうちに、当然その人の才能が垣間見えたり、美しさにはっとする瞬間などもある。
長年の鍛錬の成果と思われる、高度な技術も披露されたりする。
聴いている方は、自分の中でそれらを咀嚼しながら、どんな風に表現していこうか、次第に印象がまとまっていく。
その段階が、結構楽しいのだ。
自分の生徒をレッスンするのと違って、一回限りの出会いだから、講評も簡潔に書かなくてはならない。
私の生徒がコンクールを受けて、講評を貰ってくると、それを見るのも、中々興味深いものだ。
うがった見方をすれば、その講評から審査員の考え方を、かなりはっきりと窺い知ることが出来るから。
そして、こちらも基本的には、その受験者の師事している先生に対して書いているところは、当然ある。
教えるにしろ、審査したり、講評を書いたりするのは、自分への問いかけである。
休みに似たり、的な自分ではあるけれど、私にとっては表現する事とも繋がって、中々これが楽しいのだ。
後から来る、疲労感は半端ないけれど・・。
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師匠
コメントありがとうございました。
演奏は、まずテキストありき、ですので純粋な創作とは異なりますし、芸術の分野とは言え、其処はかなり保守的な世界です。
しかも、日本の芸能の師弟関係の影響もありますしね・・。
まあ、大学を卒業する、というのは大きな独り立ちへのきっかけにはなります。
でも、その前の師弟関係の歴史が、20年くらいはあるので、中々自由な考え方を持って羽ばたく、というのは難しいです。
2017/11/26 21:47:39
なるほど
ピアノの場合は(と限らず、音楽全体を通してでしょうが)
受験者の背後には、師事する先生がおられるのですね。
講評は、その先生に向けてでもある。
というところが、面白かったです。
さながら、セカンドオピニオンを求められた、医師のようでもあり……
文学の場合には、この師弟関係というものが、大分違います。
希薄あるいは、曖昧です。
さらには、独学に徹し、師を持たない人もいます。
師事するからと言って、技術的なアドバイスを受けることは、あまりありません。
師の作品から、自ら学ぶ……くらいのことで、精神的支柱である面が、強いようです。
文字を綴るというのは、結局、密室での孤独な作業であるからでしょうね。
素人の私ですが、たまに原稿の批評を、求められることがあります。
この時に心がけるのは、
作者のやる気を削いではならない……という、この一点です。
結局は「褒貶七分三分」で、何時も通りのパターンになることが、ほとんどです。
我ながら「無難」です。
性格でもあり、ドラスティックなことは、容易に出来ません。
2017/11/26 09:40:56