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昭和2年生まれの航海日誌

だまされた原発安全神話 

2011年04月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



     「原発はそんなに恐いものではなさそうだ」と、言う。
     「これからは、火力、水力だけでは」と、判ったように
    肯いた。
     「でも、原発は万一の場合を考えて辺地に建設して
     いるぞ」と、慎重派の一人が言っていた。

     この話は、北陸旅行で高浜原発を見学してきた友人を
    囲んでの四方山話である。

     熊野灘沿岸の芦浜(三重県)に中部電力が原発建
    設の計画をしたが、地元漁業者等の強硬な反対で
    撤退した頃で、芦浜から50キロ圏内に住んでいた。

     この地域の住民は「原発」が核燃料が核分裂を
    起し、原子炉から取り出した熱で発電を行う。そんな
    知識は皆無に等しかった。

     しかし、広島、長崎の原爆やビキニ水爆による「死
    の灰」の恐怖を忘れていたものではない。
     一方では、原子力の平和利用を夢見る希望的観
    測をする者も少なくはなかった。

     これまでの原発事故「チェルノブイリ]「スリーマイル」
    の外国事例をあげるまでもなく、国内でも「東海村」で
    事故を起こしていた。そのうえ機器の老朽化も進んで
    いたのである。

     それでも、原発は安全になっているだろう、万一事故
    が発生しても、十分対策がとれるものと信じていた。

     事故発生の遠因が地震、津波の想定外であったに
    せよ、被害は最小限度に止めたられるべきである。

     東日本大震災の復旧作戦は、よく言う
    「爆撃機と竹やり」そのものではないか。

     「ポリマー」 「おがくず」 「新聞紙」で水の流れを
    止めようとしている。最早とりつく島がない。

     科学、物理学的な対策は全く見られないのが
    現況である。

     とうとう、汚染水を海に放流し始めた。想定外の
    災害はこれから先に必ず発生する。

     脅かしではない。目を向けてごらん。

     あのとき、話会った連中は、37年間、孫が成人に
    なるまで闘った芦浜地域の人達の先見の明と鋭敏
    な判断に対して、今、きっと賛辞を送り、敬意を捧げ
    ている。
    
   

   

   


...

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