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祇園神社・三嶋神社 今治市 

2017年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

祇園神社・三嶋神社 今治市
ふらっと今治に行って来ました。
今治城の周囲を回る


外から眺めただけです


堀のシマダイ


祇園神社 三島神社



三嶋神社は大三島にある大山祇神社の祭神を祀ったことにはじまり「鳥生(とりう)の宮」と称された。
そして、第三十二代崇峻天皇、御宇2年(589年)に、この地方の豪族小千直益躬(おちあたいますみ)が、靺鞨(まかつ)の国より鉄人(強い武人)が八千の兵を率いて攻めてきたのを、播磨の国で討ちとり、木の下の浜(今の鳥生の浜)へ凱旋したといい、自ら榊の大樹に鏡をかけて大山祇の大神を祀ったので、木の下三島宮とも呼ばれていた。更には、この木の枝に多数の白鳥が巣を作り、ひなを育てたので鳥生の宮とも称し、地名も鳥生としたと伝えている。他方、祇園神社は、八坂大神(須佐之男命)を祀ったことにはじまり、清和天皇の御代、貞観11年(869年)に、全国で疫病が蔓延し、それを鎮めるために京都祇園の八坂)神社にて、疫病の災厄除去を祈ったのが祇園祭の始まりで、これに習い全国に信仰が広まり、当社も八坂大神を同時期に奉斎したので、古くから鳥生の「祇園さん」と崇敬された。


山根屋源四郎傳篤考案の構え型
忠実に再現されています。


吽は玉乗り こちらの鳥居の扁額は祇園宮となっています






















阿は構え


慶應戌辰(1868)明治元年になります。


今治にこの型は多いです

これが竹原・床浦神社の山根屋源四郎傳篤作の対
文政十年製です
これより古いこの型は未だ見ていません。

境内


こちら道路に面した入口が正門でしょう
鳥居の扁額も祇園神社・三島神社両社入ってます

吽形が樹木で隠されています



由緒


吽形





いい台に乗っています
文政十三年(1830)13年は無く天保元年になります。








拝殿


拝殿 本殿

本殿

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